

神奈川県 茅ケ崎市 湘南ヘルス&ビューティーサロン
スリランカ式アーユルヴェーダ 心理カウンセリング 整体 YOGA
心と体にやすらぎを

当サロンはこころとからだの両面から健康を目指す自然療法を提供します

5000年の歴史を持つスリランカ式アー ユルヴェーダマッサージトリートメントをご提供します アーユルヴェーダは自分らしく幸せに生きるための深遠な教えです

古典的なヨガ行法に習い 心と体と意識の繋がりを改善します 体を動かしながら意識の揺らぎを鎮めて集中できるようにします

当サロンはこころとからだの両面から健康を目指す自然療法を提供します
アーユルヴェーダサロン ハナミズキ
Salon Hanamizuki
自然の恵みと潤いを生活に
こころとからだの調和を目指すサロン
Yoga Citta Vritti Nirodhah.
ヨガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダ(格言)…ヨガとは 心の作用を安止することである
ヨガについて お問い合わせいただくご質問を掲載します
*行為主義からうまれた宗教哲学
東洋思想宗教観のうち紀元前から存在する最古のバラモン主義(信仰主義)と、それに対抗して生まれた沙門主義(行為主義)の双方の影響を受けていて、紀元後にいくつも発展していった哲学宗教のひとつです。
行為が人を卑しくも崇高にもするという理性的な考えに基づいていて、身分差別制度の苦しみを越えて幸福に結びつく生き方の教えとして民衆に広まっていきます。
自業自得論や因果律を念頭に置くカルマヨガや、知や想念を相手取り学者並みの研究が必要とされるジュニアナヨガや、信仰主義を主体にしたバクティヨガなどが存在します。のちにそれらを総括したラージャヨガが生まれ、ヨガスートラに記述もされていきます。心の修養より体に特化していくハタヨガの歴史は、先のヨガに比べて非常に浅く、ですが世界中で親しまれています。
…初級者の心得…
*サロンで行うヨガ(行法)について
ヨガ(行法)とは、あらためて自分自身に出会い、今一度つながり直す実修です。その取り組みはとても素朴で優しい作業の繰り返しです。小さな動作や行為のなかに本当の自分に出会う悦びが隠されています。ゆっくり簡単なところから取り組み、徐々に難しいものへと進んでいきます。日々の実修はあなたらしいペースで行い、その繰り返しによって、徐々に心理的・身体的・生理的・精神的・社会的な健康を作り上げていきます。
*ヨガ行法の概念
初めての方はヨガの大筋を活用しましょう。ヨガとは心に始まり心で完結する流れです。『命=個性』を敬い、『命=個性』を最大に活かす生き方に結びつく実践と言えます。
まず定義を覚えます。体は心の器です。心の働きを最大に活かした生き方を目指しています。この定義が念頭に置かれると、なぜ体を毎日メンテナンスするのかが理解できるかと思います。歪んだ体は心に影響し働きの妨げになるからですね。
定義を踏まえて実修に取り掛かります。個性の発揮を妨げる五戒(倫理観)を覚え、さっそく体の整え方に着手していきます。肉体的作用の調教を通して目の付け所が理解できるようになると面白くなっていきます。徐々に難易度が上がって内面の生理的作用や心理的作用の調教へと進みます。
一度でも体験を通して改善する楽しさを覚えると、暮らしのなかで起こる不調や苦痛は、ものの見方を改善する最大のチャンスと思えるようになります。ヨガが深まっていくほど、最大の敵は浅い考え方をする自我(エゴ)になっていきます。
*心とは 命の働きそのものを指します
ヨガ哲学の『心』は、現代心理学の心の定義とはちょっと違います。命の働き全般を指す用語です。肉体・知覚器官・知覚神経・意思作用(感じる・考える・行動する)を合わせたものとしています。
*ヨガとは 五頭の馬と車体と騎手の関係です
ヨガ行法はよく馬車に例えられます。知覚器官は五頭の馬、騎手は意思、騎手と馬を繋ぐ手綱は知覚神経、車体は肉体、客人が崇高な魂です。騎手は馬を育成するだけの根気と高次な意思が必要です。車体のメンテナンスも欠かせません。騎手は常に馬を統制する支配主なので、集中力と忍耐力と理性が日常的に必要です。それらの方法を200個近い格言だけで説明しているのがヨガスートラです。スートラでは大筋を並べているに過ぎず、格言の詳細は個人で実践して導き出し理解しなさいというものです。ヨガが密教といわれている理由はここにあります。
*戒(シーラ)を大切にします
ヨガの実修に戒(梵語・シーラ)は欠かせません。戒とは習慣性の意味になります。これは悪い習慣を捨て、良い習慣を身につけましょうと解釈できます。他人に強制されるものではなく、自分自身で善い約束事と習慣を作り上げていきます。
『本物の自律性』を積み重ねていきます。毎日コツコツをあなたも実践してみてくださいね。
*ヨガ八支則(ラージャヨガ)
ヨガスートラの概要
第一 ヤマ…やってはいけない約束事
第二 ニヤマ…進んで取り入れていく約束事
第三 アサナ…身体的作用の実修
第四 プラナヤマ…生理的作用の実修
第五 プラティヤハラ…心理的作用の実修
第六 ダーラナ…精神的作用の実修
第七 ディヤーナ…熟練を目指した精神的作用の実修
第八 サマディ…一から七までの実修によって 静寂と心の安止がある状態
*ポーズは基本の動作を身につけて活用する
パワーみなぎる活性化した体(自然体)を目指し基本の動作を体得します。ゆがみは大敵です。肉体訓練で必要な基本は、上下・左右・前後・ねじりの4パターンと、外を見るより内を見る意識の合わせて5つです。絶え間なく自分自身に集中し洞察しながら訓練します。
*楽しみながら持続を可能にしましょう
初心者は身体を動かして、その心地良さを味わえるようになりましょう。楽しさや喜びを持続させていくために、肉体の正しい扱い方を学びたくなるようにしていきましょう。
・馬車の騎手のイメージを忘れないようにしましょう
・いいセルフイメージを持ちましょう
・やり過ぎ やらなさ過ぎにならないようにしましょう
・基本を大事にしましょう
・訓練の量は 訓練後に体がほぐれて心地良いと思える程度にしましょう
・ちょっとずつ負荷をかけて能力の向上を目指しましょう
・継続は力なりと心得ておきましょう
・結果にとらわれるのではなく 実行とプロセスに意味を持たせましょう
・自分で自分を支える優しさを持ちましょう
…中級者以上の心得…
自分で気づくが基本 自問自答の実修
長い道のりをたったひとりで進んでいきます
(清浄の地を得るは易し 清浄の心は得難し)
*五感コントロール法(プラティヤハラ)について
八支則五段階以上は、他人を介さないたった一人での取り組みになります。精密な洞察を必要としていきます。公私に渡り、積極的に心理・情動・習慣を正していくように努めます。無我の境地に至れるようにエゴを律し、究極の安楽を目指していきます。
内省と観想は自浄に欠かせません。この作業で集中力が強化されます。人を変えることはできませんが、自分の心を変えることはそれに比べて容易です。生活のなかで偏見や誤解を解き、正しく物事が観れる力を向上させます。
原因と結果をつなぐ因果律の訓練は、人の精神的(知性と理性)発達を促します。行き詰まったときは指導者に相談したり、ヒントを得るようにしながら精神鍛錬を重ねていきます。
*ヨガ行法の骨格は『煩悩消し』
実修の骨格は『煩悩消し』です。煩悩とは字のごとく煩い悩むことで、心の苦しみの元になるものです。ヨガでは煩悩について次のように説明しています。5つの連鎖で構成されます。
①無知(正しくないものを正しいと思ったり、純粋ではないものを純粋だと思い込む)に始まる
②①を動機に我想(エゴイズム・欲求や考え)を巡らせます。
③②をもとでに行為に及ぶも思うようにいかないと憎悪や憤怒を起こします。
④負の感情が拍車をかけて自分の考え方に強く執着します。
⑤執着が強まり続けると、人は生命欲を掛けて自我を証明しようと走り続けます。
体の使い方であれ、心の使い方であれ、煩悩が自浄されれば人は解放されます。
*瞑想作用は精神集中の道具
瞑想は精神集中が持続した状態であり、三昧に至るための道具・スキルです。たとえば、子どもがゲームに夢中になっているときに声を掛けると、全く聞こえてない事象が起こります。これは瞑想作用が働いている現象です。集中する対象物がゲームなだけです。ヨガでは、集中する対象物が呼吸であったり、記憶や行為であったりするわけです。物事をよく観て改変するには、集中する以外に手はありません。
*環境に左右されない精神的実修を目指します
海外のアシュラムに行ったときはとても落ち着くのに、日常生活に戻ると心が乱れるといったご質問をよく頂きます。これは『外側の条件』に多大に依存している証で、静かな所・条件の良い所でなら心が鎮まる状態です。このような誤認や錯覚や幻惑をも自分一人で見破らなければなりません。
ヨガ行法者が目指す修練は、喧騒な場所であってもまるで静かな場所に居るかの如く、心と体と行為が統制されていることです。
*ヨガ行法者が常に問われるのは理性です
狂信や盲信になる原因は『理性の欠如』です。教えを奥深くまで学べば、どのヨガにも常に理性が必要と説いています。
本能は動物的なもの、理性は人間のもの、直感は人智を越えたもの。理性は本能を抑制し、理性は発達すると直感に近づきます。理性で到達できないものを先に直感が明らかにすることがありますが、直感は理性と矛盾することはけしてありません。直感とよく似た勘違いを正すのも修行です。真の教えである第一の証拠は、理性に矛盾しないというものです。
*段階的・科学的に一つずつヨガは深まります
日々の小さな体験が鍵となり、あるとき点と点が結ばれて問題や苦難を自分ひとりの力で解決に導けるようになります。この事象をカイヴァリヤ(独存知)といい、枯れない井戸や湧き水にたとえています。
リトリートのような刹那的な安穏とは無縁になり、毎日が安らぎのなかで過ごせるような実力者になります。
*心は真心のためにあるもの(解脱)
実修によって無知や煩悩に乱されることがなく、心が容易に鎮座するようになります(解脱)。
命(=観ているもの)は、自我(=観られるもの)に妨げられることはなく、その命の働き(観る=動作・作為)を最大に活かせる状態になります。この三者が揃う境地が『三昧』の境地=真心の姿です。
*ヨガとは 体験を通して理解する体験型教訓です
わたしは長らく独学を基礎に置いてヨガ行法をコツコツと進めてきました。今になって思うとヨガ・スートラは『からくり屋敷』のようなものにたとえられると思います。読む者によって見え方が大きく違うのです。
外観からみる様相とはまったく違った通路や部屋が、体験を繰り返して進むほどに見えてきます。それは実行した者にしか見えてこない貴重なものたちです。
あなた自身の五感で【それ】を実感してしてほしいと思います。



