Yoga  Citta  Vritti  Nirodhah.

​ヨガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダ(格言)…ヨガとは心の作用を制御すること

心の科学・・・人として生きる理解と心身を抑制する古典の科学

~お問い合わせいただくご質問を掲載します

…初級者向け…

*ヨガ行法とはなにか

 頭の開発に挑むものです。一言でいうと『識別能力』を高めることです。これがすべての鍵を握っています。ヨガマットの上でポーズをとっているのがヨガとお考えの方は、少々ビックリされると思います。皆様が馴染んでいらっしゃるのは、商業化されたヨガでしょう。私たちの人生は、毎日の集大成です。私たちは、毎日あらゆるところで選択を迫られ、同時に識別し、最も適しているものを選んでいるはずです。選択肢は、自分を幸福にも至らせますが、ときに長い時間をかけて不幸に陥らせ、苦悩をつくるものもあります。ヨガ行法では、二つの分岐は、頭の識別よって差がうまれると明確に伝えています。そのためヨガ行法は『ユジュ・繋げ直し・結び直し』の語源を持ちます。

*ヨガ行法はあなたらしさにつながるため

 掛け替えようのない『命』の中には、独自性が備わっています。世界にひとつのあなたらしさを最大に引き出し、フルに活かすためにあるのがヨガ行法です。そのため、職業や性別や年齢を問いません。独自性の能力は、調和のとれた自然体のときに最も発揮されやすくなります。近代的生活を送り続けていると、いつのまにか人間の基本的能力から遠ざかり不自然に至ります。その不自然さが苦痛や苦悩となり、迷いを生み、能力の妨げになります。そうした問題を俎上にのせて解きはずし、もう一度、自分本来の生き方に立ち返らせてくれるのがヨガ行法です。

*ヨガの発祥は「ヴェーダ経典」に始まります

 ヴェーダの考えを礎に生まれた深遠なインド哲学思想。その一つであるウパニシャッド哲学からさらにヨガ学派は生まれ、世界中で愛され活用されています。太古の人たちが生み出した自然と共に、心を平穏にして生きる知恵の宝庫です。数々の流派の基になっているのは「ヨガ・スートラ」と言われています。実践者から実践者へと受け継がれた膨大な知恵を体系別にわかりやすく凝縮し、明瞭に記し残したとされています。

 ヨガとは心の科学です。人間が様々な苦悩から解かれ平穏を得るための実践手引き書です。人間の心理を深く理解し、生命エネルギーと知性と理性(精神性)を高めていくのがヨガ行法の目的です。

理解しがたい概念は 定義としてただ掴んでおく

 日本文化では耳慣れない東洋思想と宗教観です。「宇宙論」「二元論」「魂」などの言葉は概念として位置付け、そのままに学習するほうが受け止めやすくなります。染まることなくただ概要を掴んでいれば十分です。

​*ヨガ行法は知識探究ではなく 日常生活での実践探求です

 ヨガは人間のあらゆる側面(心理的・身体的・知的・精神的ならびに社会的)にアプローチを施すものです。机上の知的旅行による空想世界ではなく、実践による体得と自己探求が目的です。毎日の生活でコツコツと積み重ねていきます。まるで植物を育てるように長い時間を要します。ヨガ行法は、形式的なカリキュラムを熟すようなものとはまったく違います。

ヨガ行法とは 五頭の馬と馬車と騎手の関係です

 ヨガ行法とは身体に散らばる知覚器官と意思を統制し直し、人間の行動そのものを抑制する学びです。イメージに例えると知覚器官は五頭の馬、騎手は意思、騎手と馬を繋ぐ手綱は知覚神経・伝達力、馬車は肉体です。騎手は馬を育成するだけの根気と高次元な意思が必要です。また騎手は馬車のメンテナンスも必要不可欠です。騎手は常に馬を統制する支配主であるため、集中力と理性が日常的に必要です。ヨガ行法とはこの馬車が泥濘や荒道、過酷な環境下に至っても、騎手の高度な理性によって容易く走れるようにする手引書です。騎手は静寂な良環境やアスファルトの上を走るだけで、高度な技術を持っているなどと思い込む錯覚や誤認識には引っかかりません。

 馬車の中の客人と騎手がひとつとなり、この世で生きている限り、自分の道を走り続ける関係を成立させるのがヨガ行法です。

*人に生まれた機縁を 最大に生かそうとする思想です

 ヨガが生まれた時世は、人に生まれたことそのものが本当に幸せなことなのだろうかと思わずにはいられない時代です。そのような環境下にある人心を、どのようにしたら平穏と充実に導くことが出来るのか、賢人が沢山の思想で諭したとされてます。すべてのことを天意として受け取り、人心を成長させるためにあるとして、まず感謝を持ち、活用することが心の安穏に結びつくと教えています。言葉では理解しても実践となるとなかなか難しいことです。そうした言葉が事実かどうか、試していく楽しさがヨガ行法にはあります。自分の内側に存在する能力を活かすのは私たちの使命です。自らの足で立とうとするとき、偉大なサポートやパワーが次々と訪れます。人生に訪れる痛み、悲しみ、苦しみ、恐れ、喜び、楽しみ、幸福はすべて、自分を輝かせる素晴らしい機縁であると考えます。

*我心から私たちを解き放ち 自由でイキイキした生き方へ

 私たちは常日頃、自我の習慣に縛られているものです。歩き方、食べ方一つにしても我心が関係しています。知らぬ間に我心は私たちを不自由にし、一つの考えに縛りつけさえします。我心は自我中心的でもあり、自我防衛的で人を思い通りに動かしたがるものです。行法は我心から私たちを解き、もっと自由で生き生きとした生き方へと導いてくれます。縛りから解かれる開放感、誤りを正す面白さ、過ちを越えて、真心で自分を尊ぶことを学ばせてくれます。

*規則正しい生活と高質を目指し自己管理能力を向上させます

 ヨガが生活に浸透していくほど質の良い生活に近づきます。自己免疫力の向上だけでなく、自己発見の楽しみや勤勉の楽しみなどのサプライズも多く手にします。自己信頼度はどんどん上がり、健全な自己愛が育まれ、充実した日常が持続可能になります。自己管理能力はヨガを上達させる要です。自己管理能力が開発され精力(オージャス)が各段高まると、肉体的・知的な安定をつくり出します。これらが社会的側面をも向上させます。自分らしい働き方・生き方・生活の中で日常を営むことが可能になります。

*ポーズをとることがヨガではありません

 ヨガについてこれほどに情報が入り混じって、色づけが生じているものはないと思います。現在のほとんどは、ヨガの要素を取り入れて商業化されたものです。この状況については大正や明治生まれの尊師方々がすでに未来を懸念し、根本経典の中で綴っています。現代は、ハタヨガ的なエクササイズを美容・スポーツやファッションのように起用しています。私自身数十年の月日の流れで、ヨガがこれほどに変化を遂げるとは考えもしませんでした。

 ポーズづくりはあくまでも門にすぎません。ポーズの上達法や現代風潮にばかり目が行ってしまうと、ヨガ行法全体像をとらえることは難しくなります。ヨガとはあくまでも心の科学です。物事は見る者の心と意識によって、いかようにも色づけられてしまうことを忘れないでください。

*肉体訓練法ってどのぐらいやったらいいですか?について

 肉体訓練法(アサナ・ポーズ)は生涯において日々やり続けるものです。肉体は才能の宝庫です。人生はこの肉体無くして味わえません。管理の届いていない肉体のストレスは、人が思う以上に足を引っ張っています。生きている限り生涯通して管理します。特に中高年層になるほど老化は加速します。それに流されることのない自己管理能力が常に問われます。強靭と柔軟、端麗と優美を心がけ、命への感謝を忘れずにアサナは日々実践し続けるものです。

 

*ポーズは何回やったら修得できますか?について

 形式的な訓練は体得とは違います。行法でもありません。個人の肉体は世界にひとつだけ。人と同じように考えるものではありません。回数ではなく内容に最も左右されます。ご本人の記憶力・洞察力・考察力・創意工夫力・実習力ならびに筋肉の質や状態によって個人差が生じるものと心得てください。十人十色・千差万別と考えてください。

*計らいを捨てて調和のとれた生活を目指すのがヨガ行法です

 私たちの生活を眺めればいつも悲喜の繰り返しです。ヨガ行法では、悲も苦も悪とみなしません。それらはすべて軌道修正のお知らせにすぎません。病気や不調和は是正するためにあるものと視ます。自分らしからぬ思考や行動で生命を混乱させているとし、正しい見方を学び(正見)、邪な意識や見方(邪見)を払います。この世の境遇や機縁を一切の天意として受け取り、活用し進化を遂げます。苦悩を悪として避けようとするところにエゴイズムや迷妄が生じ、不調和が長引くと理解します。

*SNSの普及の盲点・我流のエクササイズに注意しましょう

 私たちの生活に、今ネットワークは欠かせなくなりました。だからこその問題が潜んでいます。それは我流のエクササイズによる故障です。見よう見マネでやり続けている人を沢山お見かけします。インストラクターを画面越しに見て、そのような動作をしていると錯覚を起こしています。アサナは苦痛緩和目的と保持増進目的に分かれます。それぞれは、科学的(筋解剖学)な見識と精密な動きが必要です。見た目と形に拘っていると、誤認識・錯覚・代償行為(主たる筋肉を使わずに補助筋を使ってそのように見せかける動作)が生じていて、怪我の原因になっています。

*簡単な心得を持っておくと持続しやすく楽しくなります

やり過ぎやらなさ過ぎにならないように良く観察しましょう

基本を大事にしましょう

訓練の量は訓練後に体がほぐれて心地良いと思える程度にしましょう

ちょっとずつ負荷をかけて肉体的能力の向上を目指しましょう

継続は力なりと心得ておきましょう

結果に終始とらわれるのではなく、実行と存続に意味を持たせていきましょう

世界に一つ、歴史上一つの貴重なわたしを大事に活かして生きます

ヨガが上達すると困難なことでさえ、自己を向上させうる近道と思えます

どんな経験も無駄なものはなく、すべて活かせるものです(経験は師なり)

人生で起こることはどんなことも意味があります

考え方次第でなんでも役に立つものです

苦楽に拘ることなく悲喜に拘ることなくただ在るを良しとする時間を持ちましょう

悲しいものを悲しいとするのは凡人のすること 悲しみですら喜びや力にするのが求道者です

*ヨガ行法は自分の生き方を発見する、人生の旅路です

 初心者は現状の自分を認識することから始めます。まず体の健康と強化法から始め、次に心と思考について取り組み、無意識に動かされていた問題行動を取り除いていきます。ヨガ行法の最終目的(精神統一・冥想)に向かって、毎日こつこつ人格育成に努めていきます。実修には絶え間ない「継続」と「修習」と結果に囚われない「離欲」が常に必須です。

 中級者になるにつれ気づきが増えて繋げ直しが喜楽になります。ここは自己管理能力次第です。実修が深まっていくと高度な識別力が備わり、命に託された個性が見つかりやすくなります。実践者は、個人の能力を最大に発揮していく願いが叶うと言われています。心の平穏と自己統合の成就となる流れです。

*上達する人とそうでない人の差はなんですか?について

 この質問は初心者の方から良く受けます。上達する人とそうでない人の違いは、自己管理能力・反省力・勤勉性があるかないかだと思います。

 あえて一言でいうならば、学習能力があるかどうかですね。

 遊戯と学習の違いでしょう。習い事の日が来たらその場へ出向き、そこで指導者に提示されたものを体験するはずです。これが現代の商業化されたヨガです。

 一緒にやって出来た、身についたと満足しがちです。この一時的な学習は体得とは違います。この状態を続ければ万全だと思われる方が大変多いのです。これは誤認識です。

 記憶はほとんどしていません。自立した熟考の姿勢が備わってませんので、思い出せないから自宅では何もやってない場合がほとんどです。指導者が目の前に居ないと何もできない人が圧倒的です。これでは5年10年経っても一向に初心者からは前進しません。いわゆる遊戯なわけです。

 上達する人は人任せにまずしません。学習したことを持ち帰り、日常で体得するまで自主的に工夫し、自分にしっくりくるまで勤勉に努め、反省したり考察して何度も繋げ直しをしています。こちらが本当の学習です。自分の頭が、何を選択しているかが分かれ道です。

*ポーズが出来ないと先には進めないのですか?について

 この質問も良く受けます。そんなことはありません。誤解を生じる原因は、精神修養やヨガ哲学を除いて、ポーズをエクササイズとして起用しているヨガを見ていらっしゃるからだと思います。

 私自身サロンを開業する前、ヨガビジネスに関与していた時期がありました。ヨガ教室やヨガスタジオに集まる人の期待やニーズは様々でした。ヨガはからだにいいと情報を得たからやろうと思った人、ポーズがとれたら格好いいからやる人、ステータスが増えることを目的にした人、話題についていくために経験する人、スピリチュアル情報に振り回されてきた人、心理不安の軽減のために通う人もいます。

 周りに流されず、自分が何を目的にしているか、自覚することです。

 ヨガ教室とヨガ行法は別物です。古典に遡るほどヨガ行法は、五感と意思を是正するため、知性と理性の向上を直接目指す精神療法が主です。肉体訓練に今ほど希求していません。

 ただし、肉体の生理作用が活性化すると脳の働きが活性化する相関関係は明確です。肉体的な訓練を持続させながら、精神療法を実践するほうがヨガ行法本来の姿です。

*ヨガ教室とヨガ行法の違いはなんですか?について

 このご質問には例え話を持ち出します。ヨガ教室に通う人とヨガ行法を選ぶ人との違いは、飲食店に行って注文し、差し出された料理を嗜むだけの人と、料理人を目指し、強いては材料の原産地までこだわりを持ち、栽培から実現させられる人との違いだと思います。日々の過ごし方や努力の仕方は全く別物です。

 ヨガ教室は、気分転換や癒す場所を求める方々が大半で、リトリート目的が強いように思います。体得することまではあまり考えていらっしゃらないようです。自主的に毎日行っている人は少ないです。そのため受講年齢が高い人ほど、老化現象のほうが圧倒的に速く、残念ですが病気や体形崩れが頻繁に現れています。

 このように私たちの誤解はあちらこちらで起こっています。初級者は、知ると出来るは別物、気づくと解るは別物、嗜好と熟考はまったく別物であるというように、ご自身の頭の使い方に興味を持つと、錯覚や誤認識が是正されヨガ行法のスタートが適います。

…中級者以上

*偏見を生み出す欲望と思考を浄化し、心に平穏をもたらす精神鍛錬の実施

 実践者は自己浄化のために自己を律して取り組みます。すべて自主・自発性に沿って成立します。日常生活の行為習慣を正していくように努めます(浄化法)。外因より内因や心因に集中し、ご自身で課題づくりや評価を行い持続していきます。思うように行かず苦痛や苦悩が生まれたらそれこそが鍛錬の材料になります。そのままの自分を温かく受容し自己研鑚していきます。熟達者に相談したりヒントを得ながら精神鍛錬を重ねていきます。

*精神修養はヨガスクールや講習会で評価するものとは無縁

 実践者は他者の提供する規範や学習範囲、スクールの場所に依存することなく自己を律する必要があります。追従と模倣に傾倒することなく、自主的に自己改善の取り組みを実施します。聖典(ヨガスートラ)を参考にしたり、心について先達にヒントやアドバイスをいただくようにし修養を進めていきます。すべてはヨガの最終段階である独存知・禅定に到達するためです。依頼心・依存心の問題を日常から控えて精神鍛錬に努め、強靭な精神力を実力で備えていく必要があります。

*段階的・科学的に一つずつヨガ求道は深まります

 粗大なもの(肉体)から順に取り組んで『自己管理能力』を高めていきます。次段階は、いずれ顕現するであろう微細なもの(行動の動機・心象・生理作用)に集中し見直します。

 心の修養を積み重ねると、善因善果・悪因悪果の因果関係を容易く見つけられるようになります。実践者は欲と感情の繋がりや、知覚と行動の繋がりについて、科学的検知からも見直せるようにします。一つずつ進めていくと感傷的に物事をとらえることはなくなり、心は煩悩から解かれ、動禅・静禅(精神集中)が日常生活で適います。リトリートのような刹那的な安穏ではなく、日々平穏と充足に身を置くことが可能になる道のりです。

*バクティヨガとカルマヨガとジュニアナヨガを取り込むこと

 現代のヨガはアサナ・ポーズが再優先されているため耳慣れない言葉かもしれません。ハタヨガは一角にすぎず、そのほかに多くの学びが待っています。

 物事・人物・人生に信愛の念で向き合います(バクティヨガ)。日常生活を修道場とし、働くことを通して我欲の改善と人格育成に努めていきます(カルマヨガ)。行動なく知識のみや知識なく行動のみによらず、実行したものは常に知性化を通して論証し、理性を向上させることを惜しまないようにします(ジュニアナヨガ)。ヨギは心的・肉体的・知的のどこから入っても向上を目指し、心の抑制について学びます(ラジャヨガ)。

 4つの代表的なヨガは指導者に必ず揃っていることが望ましいと語られてます。鳥に例えると二枚の羽はバクティとカルマ、頭部はジュニアナそして尾がラジャです。頭部の欠如はヨガスートラ(八支則・ラジャ)を浅く解釈しやすく、心ではなく肉体に偏り人を惑わす原因になるとしてます。

*社会生活の中でヨガ修業は十分叶います

 『心の理解なくして真の理解はない』これが手順です。もし困難な出来事に直面しているならば、それこそがヨガ道のスタートであり自己統合へ向かうチャンスです。問題をお持ちなら、それこそが自己浄化の教材になります(カルマヨガ)。挫けそうになったとき自己への信頼を意識して取り戻し、内在する力を信仰すれば、それは立派な信愛の学びです(バクティヨガ)。行動に隠れていた因果関係を発見し救済のために役立てれば、それは知識のヨガとなります(ジュニアナヨガ)。貴方は自分を観る者であり、同時に観られる者でもあります。貴方の中にある真心とつながって鍛錬し、日々を清みきった心で平穏に暮らせるよう目指します(ラジャヨガ)。

*ヨギが常に問われるものは理性です

​ 狂信や盲信ならびに脱線する原因は理性の欠如だといいます。すべてのヨガの教えには、常に『理性』が必要と説いています。

 心の三つの道具(本能と理性と霊感)について、行法を元手に識別能力を開発し、体得したのではなく、本能を霊感と勘違いしたり、時期尚早者から教わることが誤りの始まりだといいます。

 本能は動物のもの、理性は人間のもの、霊感は神人たちのもの。理性は本能を抑制し、理性は発達すると霊感に近づきます。理性で到達できないものを霊感が明らかにすることがありますが、霊感は理性と矛盾することはありません。

 真の教えの第一の証拠は、理性に矛盾しないというものです。ヨギを真実に導くものは集中力と理性です。理性なく現実逃避になること、非現実や幻想に惑わされること、安易な解釈になることはヨギならばありません。

 サロンでは心の三つの道具を『直感(霊感)・直観(理性)・野性の勘(動物)・直勘(感情)』とに分けて説明しています。直勘とは幼少期から経験で身に着けた自我防衛機制が働いているもの(エゴ)です。これに人は引っかかってしまうのです。熟達しないと、エゴは直感(霊感)だとよく勘違いを起こし、かえって迷いや惑いを生んで苦悩に至らしめます。

*修道場では落ち着くのに日常に戻ると心が乱れるのはなぜ?

 アシュラムに行ったときは落ち着くのに、日常生活に戻ると心が乱れる人は、五感が未だ、外側の物質条件に多大に依存している証です。五感から入ってくる情報が変わったので落ち着いただけです。外側の条件次第で心が鎮まる状態は、上達したとは言えません。

 ヨギ本来が目指す境地は、綺麗な所なら心が綺麗になるテーマパーク的ではありません。喧騒な場所であっても五感と脳を統制し、心を鎮めることです。本当の精神鍛錬が「苦行」と言われる所以です。

*長期に渡って修養する必要がある心の訓練≪心のヨガ≫

 最も簡単で粗大なものをコントロールする三段階(アサナ)から始まり、呼吸と生理作用の相関、生理作用と心理作用の相関を題材にする四段階(プラナヤマ)に進みます。さらに次段階は非顕現でもっと微細なものになります。

 ここは人生に関わっている記憶・心象や経験則など無意識層までが対象となり、五感と脳そのものに影響しているもの全般が見直しの対象になります。この五段階(プラティヤハラ)は、最も時間を要し、ヨガの実践者が脱落する部門です。一・二年で終わることはまずありません。大変ですがこの修練を積み重ねると、集中力は自然に高まっていき、六段階以上が容易くなる仕組みです。

 おすすめ著書インテグラルヨーガの中では、第五段階のプラティヤハラ(五感コントロール)について、ほんの2ページに記載されているのみです。この部門については先達や上達者を見つけて参考にするほかありません。

 五感コントロールや自律訓練法を実施する際には、ご自身その者(人格)が題材です。エゴ意識とアイデンティティーの詳細をつかむ必要がありますので知的向上のために「心のメモ帳ブログ」を利用してください。サロンのヨガ座学は五段階(プラティヤハラ)と浄化法に重点を置いて指導をしています。​

*八支則六段階集中法からは一切人を介入させない精神修練です

・ヨガとは結び直し、人間改造・人間回復である

 尊師の言葉です。心のヨガはヨガマットを必要とせず、生活全般を修道場として取り組みます。

 ヨガ行法とは太古の人格育成法です。与えられた枠組みと清浄化された環境でする行法では足りません。むしろ険しい環境に身を置いてこそ、人間の本性が現れるものではないでしょうか。そうした中での精神修練は、そのものの持つ精神力を最も高めます。

 社会環境に身を置きながらその社会で修業をするほうが、自己を結び直す経験が豊富に行えます。仕事に集中し、私生活に集中し、悪癖を立つために自分の意識に集中する繰り返しは、確かな清浄と人間回復の手ごたえを与えてくれます。雑念の入らない集中は、社会生活を充実させます。またここで培った集中力は、六段階集中法以降で必ず活躍してくれます。集中・瞑想・三昧は誰一人と介入することのないたった一人で自分に挑む精神修養です。

*心を乱す仕組みを清浄化すれば自然と瞑想は叶います

・ヨガを学んでいる者は沢山いるが、ヨガに辿り着く者はごく稀である

 大先達からお預かりした大事な言葉です。行為習慣を正していくと五感はすっかりコントロールされ衰微な状態になります。八支則の五段階(プラティヤハラ)まで進んだ実践者は無理なく心の平穏を経験し、瞑想はどこでも深まるようになります。ヨガ実践の最終目標である三昧は、雑念が入らない精神統一の境地です。行法が深まれば自然と行く尽くものです。

 手順を踏まず時期尚早に行うと誤った情報に身を投じたり、言葉による自己暗示や幻想に振り回されて空想に傾倒し、自分で自分を妄信に追い込む結果につながります。真と真似る(まねる)は似て非なるものです。瞑想は、なろうと思ってなるものではありません。

 実直に精神鍛錬を積み重ねて心理的・肉体的・知的に向上した者をヨギと呼び、精神的な成長を遂げた者だけがホンモノのヨガに辿り着きます。

 日常生活で一人静かに座る時間を持つことから始めましょう。苦楽や悲喜から離れ、ご自身の息づかいにただ集中し、ただ命とつながるだけを良しとする時間を持ってみましょう。ありのままの自分をよしとする肯定感と自尊心は、心に良い影響を与えます。

*答えは外にはなくすべて内にある(智慧)

・全ての教えに対する答えは外にはなく内にある

・実力はその身から生まれるもので、誰かにつけてもらうものではない

 尊師の言葉です。平穏を乱す選択をしているのは、実は自分自身なのだとあなたは考えられますか?

 肉体を例にとっても悪姿勢を選んだのは自分自身です。気づかずに使っていたために痛んだり不健康になります。実践者は常に自問自答し、心と意識の動きを隅々まで観察しては、その因果関係を解き明かし、自らを救う訓練が必要になります。平穏を与えられるのもまた自分の内にある神聖な意思です。私たちは神聖な意思につながる胚芽をもって生まれています。その高みにつながろうとするので、ヨガの語源であるyuji(結合する)が当てられたと伝えられてます。

*求道とは何か、辿り着く境地(快楽より悦楽へ)

 ヨガ行法とは人の心を落ち着かせるためにあります。

 人間の心は孤独や孤立にとても脆く、不満とあらば刺激と快楽を求めて奔走します。刺激や快楽は一次的な喜びでしかなく、根本的に心を満たしてくれるものではありません。ヨガ行法は、心の奥底に渦巻く不満から解き放たれて、安穏で満たされる悦びに辿り着くためにあります。

 求める者は、形式的な教え(顕教)に留まらず、必ず緻密な行法(密教)によって、その真髄に辿り着かなければなりません。

 道の先に辿り着きたくば問答で進み、自分の中に答えをみつけて進むことが欠かせません。精神統一と気づきを頼りに、ただひたすらに機縁を重んじ進みます。

*求道と共に生きる幸せをみつけていく*

・あなたは生き方そのものがヨガですね

 ヨガを始めてから23年後に出会った先達から、私に投げかけられた思いがけない言葉です。今も私の中で息づいています。そうしたくてそうしたのではありません。自然とそうなっていたのです。

 なぜ独学でできたのですか?と出会う方々によく質問されます。17歳の時、偶然手にした書籍から「三日坊主はすべて自分のせい」の言葉を拾い上げ、その通りだと思ったことがきっかけで、『敵は我なり』と、言葉が頭に生まれましたからかもしれません。自分に起きている出来事が、自分を鍛える材料なのだとある時から思えるようになりましたから。

 ただ疑問に向き合いながら毎日を生き、疑問が解ける日が嬉しかったです。自分で気づく感覚がとても新鮮でした。また工夫をすると何かが変わるので、探求に心地良さを感じるようになりました。わからずに終わらせることのほうが嫌だったのです。問題や議題は欠くことなく、いつも私と共に暮らしていました。

 いつしか自分の成長だけでなく我が子の成長も私のヨガを深め、私の人生を鍛えてくれているのだと考えるようになりました。そうした積み重ねの先に今があります。

 大正生まれの大先達にお会いしたときは感動でした。『弟子が答えに辿り着き準備が整うと、師はどこからともなく現れるものです』『こうして今お会いしたのも、天意による機縁です』と語ってくださり、そのまま進むよう促されました。

 そのとき『形式を追うものではない。肝心なところは与えられる環境ではない。常に自分を頼りにし、自分の頭で気づき考えられるかどうかが道を分けるものです』と説いてくださいました。

 この出会いから、私は人それぞれの人生で、それぞれの課題を必ず与えられていて、チャンスの中で成長していくのだと考えます。与えられた特性と機縁をありがたく受け容れることが『本道』になりやすく、またその人の幸せなのではないかと思っています。

*自己統合者は社会の各分野で活躍しています

 求道者とはその道を信じ愛して進み、天分の才を知りたいと願い惜しむことなく実行している人と換言できます。

 誰が見てなくとも黙々と進み、成し遂げようと日々努力を惜しまない人です。ヨガ行法のゴールは、自己実現の欲求を果たした人と言えます

 出会った人たちは、社会的地位や承認欲求を超越し、自己顕示や我欲に執着することはなく、道徳観や大志を持って活躍する人でした。みな専門分野を持ってます。

 器を広げるために精神統一を必要とし、生みの苦しみを味わいながらも乗り越えて、人の役に立つ仕事をしています。今も昔も修養・修業は、かならず独存の境地の結果を出すようです。

*こころは真心のためにあるもの(歓喜法悦)

 求道者が多くの精神鍛錬を済ませたとき、こころは真心のために在ったのだと知ります。それは苦しくとも掛け替えのない経験であり、こころを持たなければ、真心に到達する悦びも知ることもなかったのだと歓喜します。偏りから解かれる喜び、沢山の経験を通して『自然の理法』につながる感動、そして心が鎮まる悦びは、実践者の努力に対する恩寵です。実践冥想ヨガ行法は、人生かけて人間を学ぶ行法です。

 

最後までお読みいただいてありがとうございます。

ヨガ行法は、商業化されたヨガとはちょっと違います。

でも、ヨガ行法をやりたいと思う人に、

いつでも扉を開いてヨガ行法は待っていてくれます。

つなげ直し、結び直しの素晴らしさを是非経験してください。

皆様のお越しをお待ちしております。​​

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