Yoga  Citta  Vritti  Nirodhah.

​ヨガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダ(格言)…ヨガとは 心の作用を安止することである

心の科学・・・意識の探求 自分につながり直す自己変革の求道
~こころとからだの学び お問い合わせいただくご質問を掲載します

…初級者…

*ヨガスートラの読み進め方

 初めて読まれる方は、まず137ページの実修部門からをお勧めします。生活の中ですぐ実践できそうなヒントが解説されてます。本の筆頭には、哲学と独特な基本原理(有神論)が展開されているので馴染みにくいかと思います。理論や概念は後でも充分追いつきます。実修は生活の中で誰もが行うことができます。ヨガ行法は、確かな知(格言)と体験がゆっくりと結びつく自己変革の実践法です。日々の実修で学んで行く題材は、ジグソーパズルの一ピースにすぎません。経験を積み重ねていくうちに言葉の核心に近づき、ひとつひとつが自分のものになっていきます。それぞれがあるところで結びつき、深い意味があり、いつのまにか自分らしく自分を幸せにする道をつくっています。ぜひお楽しみで進めてください。ご質問はいつでもお受けしております。

 

*古来の心(citta)と 現代の心では認識が違います

 ヨガ哲学・東洋思想の『心』は、現代人の認識している『心』と違います。現代の人に心はどこにありますか!?と聞くと、ハートや胸のあたりを想像します。古来の心とは命の働き全般を指します。肉体・知覚器官・知覚神経・及び意思(感じる・考える・行動する)すべてを心(citta)と定義しています。

 

*ヨガ行法とはなにか

 体操 = ヨガではありません。本来のヨガの目的は、精神的発達を伴なわせながら(知性と理性に及ぶ脳の開発)心と身体を自らの力で調和し、安楽へと導くことです。

 さて、私たちが普段使っている意識は、顕在意識と潜在意識に分かれているのをご存知ですか? 自分で意識できている部分は全体のわずか1割です。わたしたちの行為は、顕在意識よりも潜在意識のちからによって無意識的に突き動かされやすいのです。生活で抱える煩悶や苦悩の多くは、無意識に落とし込んだ固定観念や記憶・誤認によって突き動かされた結果です。

 自分が自分自身のために意識の使い方や行動そのものを深く洞察し、気づき、自己変革しながら安楽につなげる方法がヨガ行法です。

ヨガ行法とは 五頭の馬と車体と騎手の関係です

 ヨガ行法は、よく馬車に例えられます。知覚器官は五頭の馬、騎手は意思、騎手と馬を繋ぐ手綱は知覚神経、車体は肉体、客人が崇高な魂です。騎手は馬を育成するだけの根気と高次な意思が必要です。もちろん車体のメンテナンスも欠かせません。騎手は常に馬を統制する支配主なので、集中力と理性が日常的に必要です。

 馬車が泥濘・荒道・過酷な環境下に遭遇しても、騎手の高度な理性によって容易く走れるように訓練します。皆様が親しまれているアサナ(ポーズ)は車体磨きの部分ですね。ヨガ行法の一角にすぎません。

*エゴから私たちを解き放ち イキイキした生き方へ

 わたしたちが煩悶するとき、そこにはエゴ(自我)独特の考え(エゴイズム)が存在します。歩き方、食べ方一つにしてもエゴイズムが関係しています。それらは知らぬ間にわたしたちを不自由にし、不健康や不調だけでなく争いまで起こします。

 ヨガ行法は、不調や煩悶の原因を自らに置き、癖や業(カルマ・情動)を自浄して人格を高めていきます。幸福の作り主は自分。自分を救えるのも自分。あくまでも自己変革によってゆっくりと道が整い安楽に至れることを教えています。

*楽に苦あり 苦に楽ありの精神がキーワード

 つい楽なほうへと流されるものではないでしょうか。わたしたち人間は赤ちゃんから始まっているので、何かにつけて外部にやってもらおうとする性質を持っています。それとの折り合いは、じつに『人生の課題』なのです。そこでちょっと耳よりなお話をご紹介します。

 人生100年という時代です。じつは老年期になってから、それまでのその人の生き方(業)が自分自身にそのまま返ってきます。これはどういうことかというと、楽を選んだばかりに、人一倍はやく身体機能が弱まって故障が多い状態になったり、一人では気分ひとつ鎮静させることもできない共依存状態になるなど、多大な苦痛を背負うようになります。自業自得、悪因悪果、楽に苦ありそのものが現れるのです。

 こうした禍を避けるべく、古人の修行者は観る眼を持つように教えています。鍛錬とは、一見『苦』と思えるような題材に消極的になるのではなく、積極的に取り組むことで、後に自分の身を助け、安楽になるという事実を教えています。ヨガ行法は、修行者たちが人生かけて取り組んだ分析から生まれた精神発達のための教訓そのものなのです

*ポーズは 何回やったら修得できますか?について

 形式的な訓練は体得とは違います。行法でもありません。個人の肉体は世界にひとつだけ。人と同じように考えるものではありません。回数ではなく内容に最も左右されます。ご本人の記憶力・洞察力・考察力・工夫力・実修力、筋肉の質によって、かならず個人差が生じるものと心得てください。

*楽しみながら持続を可能にしましょう

・いいセルフイメージを持ちましょう

・やり過ぎ やらなさ過ぎにならないようにしましょう

・基本を大事にしましょう

・訓練の量は 訓練後に体がほぐれて心地良いと思える程度にしましょう

・ちょっとずつ負荷をかけて能力の向上を目指しましょう

・継続は力なりと心得ておきましょう

・結果にとらわれるのではなく 実行とプロセスに意味を持たせましょう

・自分で自分を支える優しさを持ちましょう

…中級者以上…自分で気づくが基本

*五感コントロール法(プラティヤハラ)について

偏見を生み出す欲望と思考に自ら気づき 心に平穏をもたらす精神鍛錬について

 八支則五段階以上は、他人を介さないたった一人での取り組みになります。また非常に緻密で精密な選択を必要としていきます。求道者は、積極的に日常生活の情動・習慣を正していくように努めます。すべてはエゴを律して自己浄化し、究極の安楽に至るためです。

 外に原因をみるのではなく、内に集中し、問題定義や評価を行っていきます。たとえば『あなたが○○だから』という言葉は、外に責任を見る目ですね。それを『私が○○したのでこうなった』に変えると行為を洞察するチャンスになります。客観視と状況を把握し直す観想は自浄に欠かせません。この作業で一点集中力が強化されていきます。人を変えることはできませんが、自分を変えることはそれに比べて容易です。

 原因と結果をつなぐ訓練は精神的(知性と理性)発達を促します。行き詰まったときは、指導者に相談したり、問答で意欲を分かち合いながら精神鍛錬を重ねていきます。

*修道場では落ち着くのに 日常に戻ると心が乱れるのはなぜ?

 海外のアシュラムに行ったときはとても落ち着くのに、日常生活に戻ると心が乱れるといったご質問をよく頂きます。これは未だ『外側の条件』に多大に依存している証です。静かな所・条件の良いところであったなら心が鎮まる状態は、上達したとはいえません。つまり錯覚したのです。求道者は、錯覚や幻惑をも見破らなければなりません。

 求道者が目指す境地は、喧騒な場所であっても、まるで静かな場所に居るかの如く、五感と意思と行為を統制し心を鎮めることです。簡単にいうと完全な独立状態を目指しています。

*精神修養は自問自答が欠かせません

 古人は精神鍛錬を鋭い刀づくりに例えてます。鋭い意識は真相を明かすからですね。古人は極限状態に追い込まれたときほど、本当の自分の姿がよくわかると伝えています。つまり大きな試練ほど実力をつけるチャンスです。自分を支えにする自問自答は欠かせません。苦の中から生まれる閃き、精神力は誰かにもらうものではなく、常に内にあり、自分で育めるという大切な学びです。

*求道者が常に問われるのは理性です

​ 狂信や盲信になる原因は『理性の欠如』です。教えを奥深くまで学べば、どのヨガにも常に理性が必要と説いています。

 本能は動物的なもの、理性は人間のもの、直感は人智を越えたもの。理性は本能を抑制し、理性は発達すると直感に近づきます。理性で到達できないものを先に直感が明らかにすることがありますが、直感は理性と矛盾することはけしてありません。理性だけが迷いや浅はかさから救ってくれます。真の教えの第一の証拠は、理性に矛盾しないというものです。

*段階的・科学的に一つずつヨガ求道は深まります

 善因善果・悪因悪果の因果関係を容易く見つけられるようになるので、非常に静かな心の状態になります。実践者は時が経つにつれて、必要なものとそうでないものの見分けがハッキリしてくるので心も体も軽くなります。

 日常生活では浮ついたところはなく、感情的や感傷的に物事をとらえることもなくなってます。実践者はリトリートのような刹那的な安穏ではなく、持続する安楽を可能にします。

*答えは必ず内にあるの意味

 ヨガ行法は、個人の内に存在する『命の根源(魂・アートマ)』につながる学問です。基本原理をご存知でない方は、根源 = 智慧 = 非常に優れた理性 → 自然の法則と考えてください。外に求めずともわたしたち人間の中には常にそれが在り、雑念を払って集中力が高まったときほどよく働き、人生を安楽のほうへと導くと実感させようとしています。

 ヨガの真髄は、だれかに決められた規範や形式化されたものをただ積み重ねていくのでもなく、知識をただ増やすためでもなく、自分で実際に取り組んで、奥深くに秘められたその仕組みを実感させることです。そのため密教といわれています。

*心を清浄すれば 自然と瞑想は叶います

『ヨガを学んでいる者は沢山いるが、ヨガに辿り着く者はごく稀である』と、先達からお預かりしています。

 手順を踏まず時期尚早に行うと誤った情報に身を投じたり、自己暗示にかかったり、幻想に振り回されるので、本来の精神発達や瞑想からは遠ざかります。雑念を払う修練を端折らず地道にいきましょう。

 瞑想はなろうとしてなるものではなく、自浄が行われていれば自然と乱れずに安楽している自然現象なのです。その日が来るのを楽しみにして浄化をどんどん続けましょう。

 初心者のかたは、はじめは5分~10分程度を目安にし、深呼吸に集中してみましょう。苦楽や悲喜から離れるリセットタイムになります。人間の脳は何か一つに集中すると、他のことが薄れる習性がありますのでおすすめです。脳の栄養になります。

*ありのままを越えてあるがままへ

 ヨガ行法によって、ありのままの自分をたくさん受け止めて洞察し、煩悩や雑念を手放して自分本来に戻るようにしてきました。最終目的地は、エゴイスティックから解き放たれた自分本来に到達することです。これをカルマ(業)の清算といいます。

 『ただ自分がある(あるがまま)』の体現です。

 自分に責任を置き、自分を信じ、自分を活かして生きる幸福な人生。真実の愛の存在と一つになるような感覚。それを『三昧』といっています。求道者の憧れの境地です。

*心は真心のためにあるもの(解脱)

 求道者は、過去の記憶や外部因子に縛られることはありません。古い人格を脱ぎ捨てたかの如く、生きていながらあたかも新しい始まりや誕生のような体験です。

 解脱と真心とともにただ生きる三昧は、実践者の努力に対する恩寵です。

*人は行為によって乱れ 行為によって真の人ともなる

 社会生活を送るだけでは見落としやすい問題を、昔の人は深遠な学びとして大切に伝えてくれたのではないでしょうか。当たり前のようにある毎日で、人は形づくられていくことを今は見過ごさないようにと伝えています。

 心の性向が習慣化して性格になり、性格が定着して人格になり、人格に人生が縛られて幸不幸が決まっていきます。非常に大切なことではないでしょうか。

 命に活かされていることを知り、丁寧に生きることが大義であり、同時にご恩返しのように思います。命の活かし方、心の結び直し方を教えてくれたヨガ行法に心から感謝しています。

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自己鍛錬能力の向上・正姿勢への気づき

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​ヨガの最終目的・独存知と歓喜法悦感