Yoga  Citta  Vritti  Nirodhah.

​ヨガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダ(格言)…ヨガとは心の作用を制御すること

心の科学・・・人として生きる理解と心身を抑制する古典の科学

~お問い合わせいただくご質問を掲載します

…初級者向け…

*ヨガの発祥「ヴェーダ経典」から始まる

 ヴェーダの考えを礎に生まれた深遠なインド哲学思想。その一つであるウパニシャッド哲学からさらにヨガ学派は生まれ、世界中で愛され活用されています。太古の人たちが生み出した自然と共に心を平穏にして生きる知恵。数々の流派の基になっているのは「ヨガ・スートラ」と言われています。実践者から実践者へと受け継がれた膨大な知恵を体系別にわかりやすく凝縮し、明瞭に記し残したとされています。

 ヨガとは心の科学。人間が様々な苦悩から解かれ平穏を得るための実践手引き書です。人間の心理を深く理解し、生命エネルギーと精神性を高めていくのがヨガ行法の目的です。

理解しがたい概念はそのままに定義としてただ学ぶ

 日本文化では耳慣れない東洋思想と宗教観。「宇宙論」「二元論」「魂」などの言葉は概念として位置付け、そのままに学習するほうが受け止めやすくなります。染まることなくただ概要を掴んでいれば十分です。

​*ヨガ行法は知識探究ではなく日常生活での実践探求です

 ヨガは人間のあらゆる側面(心理的・身体的・知的・精神的ならびに社会的)にアプローチを施すものです。机上の知的旅行による空想世界ではなく実践による自己探求です。ヨガ理論と実践を合わせて生活の中で体得していきます。

ヨガ行法とは五頭の馬と馬車と騎手の関係です

 ヨガ行法とは身体に散らばる知覚器官と意思を統制し直し、人間の行動そのものを抑制する学びです。イメージに例えると知覚器官は五頭の馬、騎手は意思、騎手と馬を繋ぐ手綱は知覚神経・伝達力、馬車は肉体です。騎手は馬を育成するだけの根気と高次元な意思が必要です。また騎手は馬車のメンテナンスも必要不可欠です。騎手は常に馬を統制する支配主であるため集中力と理性が日常的に必要です。ヨガ行法とはこの馬車が泥濘や荒道、過酷な環境下に至っても、騎手の高度な理性によって容易く走れるようにする手引書です。騎手は静寂な良環境やアスファルトの上を走るだけで高度な技術を持っているなどと思い込む錯覚や誤認識には引っかかりません。

 馬車の中の客人とは、騎手に多大な恩顧をもたらす精神的な存在です。訓練ののち客人と走る馬車全体が一心一体となる関係が成立します。

*人に生まれた機縁を最大に生かそうとする思想

 ヨガが生まれた時世は、人に生まれたことそのものが本当に幸せなことなのだろうかと思わずにはいられない時代です。そのような環境下にある人心を、どのようにしたら平穏と充実に導くことが出来るのか、賢人が沢山の思想で諭したとされてます。すべてのことを天意として受け取り、人心を成長させるためにあるとして感謝を持ち、活用することが心の安穏に結びつくと教えています。言葉では理解しても実践となるとなかなか難しいことです。そうした言葉が事実かどうか、試していく楽しさがヨガ行法にはあります。自分の内側に存在する輝きを活かすのは私たちの使命です。自らの足で立とうとするとき、偉大なサポートやパワーが次々と訪れます。人生に訪れる痛み、悲しみ、苦しみ、恐れ、喜び、楽しみ、幸福はすべて、自分を輝かせる素晴らしい機会であると忘れないでください。

*我心から解かれて自由と真心に通ずるための行法

 私たちは常日頃、自我の習慣に縛られているものです。歩き方、食べ方一つにしても我心が関係しています。知らぬ間に我心は私たちを不自由にし、一つの考えに縛りつけさえします。我心は自我中心的でもあり、自我防衛的で人を思い通りに動かしたがるもの。行法は我心から解かれて、もっと自由で生き生きとした生き方へと導いてくれます。縛りから解かれる開放感、誤りを正す面白さ、過ちを越えて、真心で自分を尊ぶことを学ばせてくれます。

*規則正しい生活と高質を目指し自己管理能力を向上させます

 ヨガが生活に浸透していくほど質の良い生活に近づきます。自己免疫力の向上だけでなく、自己発見の楽しみや勤勉の楽しみなどのサプライズも多く手にします。自己信頼度はどんどん上がり健全な自己愛が育まれ、充実した日常が持続可能になります。自己管理能力はヨガを上達させる要です。自己管理能力が開発され精力(オージャス)が各段高まると、肉体的・知的な安定をつくり出します。これらが社会的側面をも向上させます。自分らしい働き方・生き方・生活の中で日常を営むことが可能になります。

*ポーズをとることがヨガではありません

 ヨガについてこれほどに情報が入り混じって色づけが生じているものはないと思います。この状況については大正生まれの尊師方々が未来を懸念し、根本経典の中で綴っています。世界中で美容やスポーツやファッションのように色づけられ、今はビジネスとして盛んに登用されてます。私自身数十年の月日の流れで、ヨガがこれほどに色づけられるとは考えもしませんでした。

 ポーズづくりはあくまでも門にすぎません。ポーズの上達法や現代風潮にばかり目が行ってしまうと、ヨガ行法全体像をとらえることは難しくなります。ヨガとはあくまでも心の科学です。物事は見る者の心と意識によって多種多様に色づけられ、あるがままの姿を見れなくなる邪見・正見の修養教材として、後で役に立つと思います。

*肉体訓練法ってどのぐらいやったらいいですか?について

 肉体訓練法(アサナ・ポーズ)は生涯において日々やり続けるものです。肉体は才能の宝庫です。人生はこの肉体無くして味わえません。生きている限り生涯通して慈しみます。特に中高年層になるほど老化は促進します。それに流されることのない自己管理能力が問われます。強靭と柔軟、端麗と優美を心がけ、命への感謝を忘れずにアサナは日々実践し続けます。

 

*ポーズは何回やったら修得できますか?について

 個人の肉体は世界にひとつだけ。人と同じように考える必要はありません。回数ではなく内容に最も左右されます。ご本人の記憶力・洞察力・考察力・創意工夫力・実習力ならびに筋肉の質や状態によって個人差が生じるものと心得てください。十人十色・千差万別と考えてください。

*計らいを捨てて調和のとれた生活を目指すのがヨガ行法です

 私たちの生活を眺めればいつも悲喜の繰り返しです。ヨガ行法では、悲も苦も悪とみなしません。それらはすべて軌道修正のお知らせにすぎません。病気や不調和は是正するためにあるものと視ます。自分らしからぬ思考や行動で生命を混乱させているとし、正しい見方を学び(正見)、邪な意識や見方(邪見)を払います。この世の境遇や機縁を一切の天意として受け取り、活用し進化を遂げます。苦悩を悪として避けようとするところにエゴイズムや迷妄が生じ、不調和が長引くと理解します。

*簡単な心得を持っておくと持続しやすく楽しい

やり過ぎやらなさ過ぎにならないように良く観察しましょう

基本を大事にしましょう

訓練の量は訓練後に体がほぐれて心地良いと思える程度にしましょう

ちょっとずつ負荷をかけて肉体的能力の向上を目指しましょう

継続は力なりと心得ておきましょう

結果に終始とらわれるのではなく、実行と存続に意味を持たせていきましょう

世界に一つ、歴史上一つの貴重なわたしを大事に活かして生きます

ヨガが上達すると困難なことでさえ、自己を向上させうる近道と思えます

どんな経験も無駄なものはなく、すべて活かせるものです(経験は師なり)

人生で起こることはどんなことも意味があります

考え方次第でなんでも役に立つものです

苦楽に拘ることなく悲喜に拘ることなくただ在るを良しとする時間を持ちましょう

悲しいものを悲しいとするのは凡人のすること 悲しみですら喜びや力にするのが求道者です

*ヨガ行法は自分の生き方を発見する、人生の旅路

 初心者は現状の自分を認識することから始めます。まず体の健康と強化法から始め、次に心と思考について取り組み、無意識に動かされていた問題行動を取り除いていきます。ヨガ行法の最終目的に向かって、毎日こつこつ人格育成に努めて参ります。実修には絶え間ない「継続」と「修習」と結果に囚われない「離欲」が常に必須です。

 中級者になるにつれ気づきが増えて繋げ直しが可能になります。ここは自己管理能力次第です。実修が深まっていくと高度な識別力が備わり、命に託された個性が見つかりやすくなります。実践者は個人の能力を最大に発揮していく願いが叶うと言われています。心と意識の理解の果てに内に秘めたる精神性とつながり、心の平穏と自己統合の成就となる流れです。

*上達する人とそうでない人の差はなんですか?について

 この質問は初心者の方から良く受けます。上達する人とそうでない人の違いは、自己管理能力・反省力・勤勉性があるかないかだと思います。

 習い事を始めると、その日が来たら習い事へ行き、そこで指導者に提示されたものを学習します。それで出来た、身についたと満足しがちです。一時的な学習は体得とは違います。この状態を大丈夫、万全だと錯覚していては、5年10年経っても一向に初心者からは前進しません。自立した熟考の姿勢が備わってませんので、思い出せないから自宅では何もやってない場合が大変多いのです。

 上達する人は人任せにまずしません。学習したことを持ち帰り、日常で体得するまで自主的に工夫し、自分にしっくりくるまで勤勉に努め、反省したり考察して何度も繋げ直しをしています。自分の意識が何を選択しているかが分かれ道です。

*ポーズが出来ないと先には進めないのですか?について

 この質問も良く受けます。そんなことはありません。誤解を生じる原因は、精神療法やヨガ哲学を除いてポーズに限ってしまえば、スポーツインストラクターや筋トレが上手な人がヨガポーズだけをビジネスに活用し運営できるため、沢山のヨガ教室からどれを選ぶか、誰に何を学ぶか時間がかかってしまうようです。

 私自身サロンを開業する前ヨガビジネスを介して、ヨガ教室やスタジオでインストラクターの経験をさせていただきましたが、そこに集まる人の期待やニーズは様々でした。身体の疲労を解くためにヨガを選ぶ人は、ポーズをやるためにずっと通います。体験療法による心理不安の軽減の人もいます。趣味が増えることを目的の人もいます。

 周りに流されず自分が何を目的にしているか、自覚できれば迷いは消えていきます。上記とヨガ行法は別物です。古典に遡るほどヨガ行法は、五感と意思を是正するため、知性と理性の向上を直接目指す精神療法が主です。肉体訓練に今ほど希求していません。ただし、肉体の生理作用が活性化すると脳の働きが活性化する相関関係は明確です。肉体的な訓練を持続させながら、精神療法を実践するほうがヨガ行法本来の姿です。

*ヨガ教室とヨガ行法の違いはなんですか?について

 このご質問には例え話を持ち出します。ヨガ教室に通う人とヨガ行法を選ぶ人との違いは、飲食店に行って注文し差し出された料理を嗜むだけの人と、料理人を目指し、強いては材料の原産地までこだわりを持ち栽培から実現させられる人との違いだと思います。日々の過ごし方や努力の仕方は全く別物です。

 ヨガ教室は日常雑事に追われて緊張する心身から逃避して、心身を解し癒す場所を求める方々が大半を占めています。リトリート目的が強く体得することなく終わってしまい、年齢が高齢化するほど体と脳の老化現象に追いつかない事情が起こって病気や不調が現れています。

 このように初級者は、知ると出来るは別物、気づくと解るは別物、嗜好と熟考はまったく別物であるというように、ご自身の頭の使い方に興味を持つと、錯覚や誤認識が是正されヨガ行法の精神鍛錬のスタートが適います。

…中級者以上

*偏見を生み出す欲望と思考を浄化し、心に平穏をもたらす精神鍛錬の実施

 実践者は自己浄化のために自己を律して取り組みます。すべて自主・自発性に沿って成立します。日常生活の行為習慣を正していくように努めます(浄化法)。外因より内因や心因に集中し、ご自身で課題づくりや評価を行い持続していきます。思うように行かず苦痛や苦悩が生まれたらそれこそが鍛錬の材料になります。そのままの自分を温かく受容し自己研鑚していきます。熟達者に相談したりヒントを得ながら精神鍛錬を重ねていきます。

*精神修養はヨガスクールや講習会で評価するものとは無縁

 実践者は他者の提供する規範や学習範囲、スクールの場所に依存することなく自己を律する必要があります。追従と模倣に傾倒することなく、自主的に自己改善の取り組みを実施します。聖典(ヨガスートラ)を参考にしたり、心について先達にヒントやアドバイスをいただくようにし修養を進めていきます。すべてはヨガの最終段階である独存知・禅定に到達するためです。依頼心・依存心の問題を日常から控えて精神鍛錬に努め、強靭な精神力を実力で備えていく必要があります。

*段階的・科学的に一つずつヨガ求道は深まります

 粗大なもの(肉体)から順に取り組んで『自己管理能力』を見直します。次段階はいずれ顕現するであろう微細なもの(動機・心象・生理作用)に集中し見直します。心の修養を積み重ねると、善因善果・悪因悪果の因果関係を容易く見つけられるようになります。実践者は欲と感情の繋がりや知覚と行動の繋がりについて、科学的検知からも見直せるようになります。一つずつ進めていくと感傷的に物事をとらえることはなくなり、心は煩悩から解かれ、動禅・静禅が日常生活で適います。リトリートのような刹那的な安穏ではなく、日々平穏と充足に身を置くことが可能になる道のりです。

*バクティヨガとカルマヨガとジュニアナヨガを取り込むこと

 現代のヨガはアサナ・ポーズが再優先されているため耳慣れない言葉かもしれません。それは氷山の一角にすぎず多くの学びが後に待っています。

 物事・人物・人生に信愛の念で向き合います(バクティヨガ)。日常生活を修道場とし、働くことを通して我欲の改善と人格育成に努めていきます(カルマヨガ)。行動なく知識のみや知識なく行動のみによらず、実行したものは常に知性化を通して論証し、理性を向上させることを惜しまないようにします(ジュニアナヨガ)。ヨギは心的・肉体的・知的のどこから入っても向上を目指し、心の抑制について学びます(ラジャヨガ)。

 4つの代表的なヨガは指導者に必ず揃っていることが望ましいと語られてます。鳥に例えると二枚の羽はバクティとカルマ、頭部はジュニアナそして尾がラジャです。頭部の欠如はヨガスートラ(八支則・ラジャ)を浅く解釈しやすく、心ではなく肉体に偏り人を惑わす原因になるとしてます。

*社会生活の中でヨガ修業は十分叶います

 『心の理解なくして真の理解はない』これが手順です。もし困難な出来事に直面しているならばそれこそがヨガ道のスタートであり自己統合へ向かうチャンスです。問題をお持ちならそれこそが自己浄化の教材になります(カルマヨガ)。挫けそうになったとき自己への信頼を意識して取り戻し、内在する力を信仰すればそれは立派な信愛の学びです(バクティヨガ)。行動に隠れていた因果関係を発見し救済のために役立てれば、それは知識のヨガとなります(ジュニアナヨガ)。貴方は自分を観る者であり同時に観られる者でもあります。貴方の中にあった内なる精神性とつながって、日々を平穏に歓喜法悦感と共に暮らせるようにします。貴方が鍛錬して清みきった心と理性で貴女自身を助けることを目標にしてください(ラジャヨガ)。

*ヨギが常に問われるものは理性です

​ 狂信や盲信ならびに脱線する原因は理性の欠如だといいます。すべてのヨガの教えには常に理性が必要と説いています。心の三つの道具(本能と理性と霊感)について行法から識別能力を開発し体得することなく、本能を霊感と勘違いした時期尚早者から教わることが誤りの始まりだといいます。本能は動物のもの、理性は人間のもの、霊感は神人たちのもの。理性は本能を抑制し、理性は発達すると霊感に近づきます。理性で到達できないものを霊感が明らかにすることがありますが、霊感は理性と矛盾することはありません。真の教えの第一の証拠は、理性に矛盾しないというものです。ヨギを真実に導くものは集中力と理性です。理性なく現実逃避になること、非現実や幻想に惑わされること、安易な解釈になることはヨギならばありません。

 サロンでは心の三つの道具を『直感(霊感)・直観(理性)・野性の勘(動物)・直勘』とに分けて説明しています。直勘とは幼少期から経験で身に着けた自我防衛機制が働いているもの(エゴ)。直勘と直感(霊感)を取り違えてエゴが暴走し、感情的・情緒的が先走ってヨガが迷走しているのをよく見かけます。

*修道場では落ち着くのに日常に戻ると心が乱れるのはなぜ?

 日常生活に戻ると心が乱れる人は、五感が未だ外側の物質条件に多大に依存している証です。外側次第で心が鎮まる状態は上達したとは言えません。人や物が入れ替わることで五感から入ってくる刺激が変わっただけです。修道場で鎮まる経験は後々どんな条件下でも、それを目指すとするならば参考になります。ヨギ本来が目指す場所は、綺麗な所なら心が綺麗になるテーマパーク的ではありません。喧騒な場所であっても五感と脳を統制し心を鎮めることです。本当の精神鍛錬が「苦行」と言われる所以です。現代のヨガはリトリート目的が強く、リラックスして疲れが癒されることを主に色づけられてます。目的の違いを知ることが選択の違いにつながるだろうと思います。

*長期に渡って修養する必要がある心の訓練≪心のヨガ≫

 最も簡単で粗大なものをコントロールする三段階(アサナ)から始まり、呼吸と生理作用の相関、生理作用と心理作用の相関など習慣を題材にする四段階(プラナヤマ)に進みます。さらに次段階は非顕現でもっと微細なものになります。ここは人生に関わっている記憶・心象や経験則など無意識層までが対象となり、五感と脳そのものに影響しているもの全般が見直しの対象になります。この五段階(プラティヤハラ)は最も時間を要しヨガの実践者が脱落する部門です。一・二年で終わることはまずありません。大変ですがこの修練を積み重ねると集中力は自然に高まっていて、六段階以上が容易くなる仕組みです。

 おすすめ著書インテグラルヨーガの中では第五段階のプラティヤハラ(五感コントロール)についてはほんの2ページに記載されているのみです。この部門については先達や上達者を見つけて参考にするほかありません。日々使っている言葉・思考・行動を向上させて、感情を抑制しなければなりません。五感コントロールや自律訓練法を実施する際には、ご自身その者(人格)が題材です。エゴ意識とアイデンティティーの詳細をつかむ必要がありますので知的向上のために「心のメモ帳ブログ」を利用してください。サロンのヨガ座学は五段階(プラティヤハラ)と浄化法に重点を置いて指導をしています。​

*八支則六段階集中法からは一切人を介入させない精神修練

・ヨガとは結び直し、人間改造・人間回復である

 尊師の言葉です。心のヨガはヨガマットを必要とせず、生活全般を修道場として取り組みます。ヨガ行法とは太古の人格育成法です。与えられた枠組みと清浄化された環境でする行法では安易です。むしろ険しい環境に身を置いてこそ人間の本性が現れるものではないでしょうか。そうした中での精神修練は最もそのものの持つ精神力を高めます。今までと変わらない社会環境に身を置きながらその社会で修業をするほうが、自己を結び直す経験が豊富に行えます。仕事に集中し、私生活に集中し、悪癖を立つために自分の意識に集中する繰り返しは、確かな清浄と人間回復の手ごたえを与えてくれます。ここで培った集中力は六段階集中法以降で活躍してくれます。集中・瞑想・三昧は誰一人と介入することのないたった一人で自分に挑む精神修養です。

*心を乱す仕組みを清浄化すれば自然と瞑想は叶います

・ヨガを学んでいる者は沢山いるが、ヨガに辿り着く者はごく稀である

 大先達からお預かりした大事な言葉です。行為習慣を正していくと五感はすっかりコントロールされ衰微な状態になります。八支則の五段階(プラティヤハラ)まで進んだ実践者は無理なく心の平穏を経験し、瞑想はどこでも深まるようになります。ヨガ実践の最終目標である三昧は瞑想が深まれば自然と行く尽くものです。手順を踏まず時期尚早に行うと誤った情報に身を投じたり、自己暗示や幻想に振り回されて空想に傾倒し、自分で自分を妄信に追い込む結果につながります。真と真似る(まねる)は似て非なるものです。

 実直に精神鍛錬を積み重ねて心理的・肉体的・知的に向上した者をヨギと呼び、精神的な成長を遂げた者だけがヨガ(心の科学)に辿り着きます。

 日常生活で一人静かに苦楽や悲喜から離れ息づかいに集中し、ただ命が在るだけを良しとする時間を持ってみましょう。肯定感、自尊心は心に良い影響を与えます。

*答えは外にはなくすべて内にある(智慧)

・全ての教えに対する答えは外にはなく内にある

・実力はその身から生まれるもので、誰かにつけてもらうものではない

 尊師の言葉です。平穏を乱す選択をしているのは自分自身だとあなたは考えられますか?肉体を例にとっても悪姿勢を選んだのは自分自身です。気づかずに使っていたために痛んだり不健康になります。実践者は常に自問自答し、心と意識の動きを隅々まで観察してはその因果関係を解き明かし、自らを救う訓練が必要です。平穏を与えられるのもまた自分の内にある神聖な意思です。私たちは神聖な意思につながる胚芽をもって生まれているのだろうと思います。その高みにつながろうとするのでヨガの語源であるyuji(結合する)が当てられたと伝えられてます。

*求道とは何か、辿り着く境地

 ヨガ行法とは人の心を落ち着かせるためにあるものです。人間の心は孤独や孤立にとても脆く、何かの支えを必要とするものだと古来の賢人が見抜いたのが始まりだといいます。強靭な精神力と心を制御する方法を求めて人々は集まったとされてます。

 求める者はその者の人格特性から顕かな教えを追従し師事を仰いで携わっていく者と、自らが秘を明かす者の二つの道に自然と分かれたそうです。顕か密かは適合によるもので機縁だといいます。修業は当初求める者の心で色づけされていますが、修練が深まるごとに色づけは取り払われ、真を求める信念が『道』となります。求道者が宗教の語る真理に辿り着いた後、ここでもまた選択が分かれていきます。「人とは何か、なぜ宗教たるものが創られたのか、またなぜ人は宗教を必要としたのか」それらの問いを自分で解き明かし、宗教やヨガの枠組みを越えて新たな境地へ向かう者とに分かれます。求道者は囚われのない心で自由に選択しどこまでも独自の道をすすみ続けられます。

 密ならば、道の先に辿り着きたくば問答で進み、自分の中に答えをみつけて進むこと。また言葉や文章や形式ではなく、個人の気づきは機縁を重んじます。

*求道と共に生きる幸せを得る

・あなたは生き方そのものがヨガですね

 始めてから23年後出会った先達から私に投げかけられた思いがけない言葉。今も私の中で息づいています。そうしたくてそうしたのではありません。自然とそうなっていたのです。なぜ独学でできたのですか?と出会う方々によく質問されますが、それは17歳の時、冗談半分で敵は我なりなどと言葉が生まれましたからかもしれません。自分と自分の身の周りにある人や出来事が、自分を鍛える材料なのだとある時から思えるようになりました。ただ疑問に向き合いながら毎日を生き、疑問が解ける日が嬉しかっただけ。自分で気づく感覚がとても新鮮でした。また工夫をすると何かが変わるので、探求に心地良さを感じるようになりました。わからずに終わらせることのほうが嫌だったのです。議題は欠くことなくいつも私と共に暮らしていました。いつしか自分の成長だけでなく我が子の成長も私のヨガを深め、私の人生を鍛えてくれていると考えるようにさえなりました。そうした積み重ねの先に、意識の怪我に挑み自分を救う楽しみと言葉が生まれました。

 また大先達にお会いした時も『条件を与えられたり、静かな所で静かになるのは子どもでも出来るもの。肝心なところは与えられる環境ではなく、本当に必要なことに自分の頭で気づけるかどうかが、求道者の道を分けるものです』『弟子が答えに辿り着き準備が整うと、師はどこからともなく現れるものです』『こうして今お会いしたのも天意による機縁です』と語ってくださり、そのまま進むよう促されました。

 この出会いから私は益々、人はそれぞれの人生でそれぞれの課題を与えられ、チャンスの中で成長していると考えます。与えられた特性と機縁をありがたく受け容れることが『道』になりやすく、またその人の幸せなのではないかと思っています。

*自己統合者は社会の各分野で活躍しています

 求道者とはその道を信じ愛して進み、天分の才を知りたいと願い惜しむことなく実行している人と換言できます。誰が見てなくとも黙々と進み、成し遂げようと努力をしている人です。自己統合の成就とは自己実現の欲求を果たした人とも言えます。これは心理学者も研究で明かしています。社会的地位や承認欲求を超越し我欲に執着することはなく、道徳観や大志を持って精神的自立の中で生きる人だと言っています。見識が広く度量が大きく寛容で、人を幸せにする人が該当する結果が出ています。今も昔も人格者については同じような結果を出すようです。

*心は真心のためにあるもの(歓喜法悦)

 求道者が多くの精神鍛錬を済ませた時、心は真心のためにあり、生まれてこのかた多くの泥や汚れをインプットするために在ったのだと知ります。それは苦しくとも掛け替えのない経験であり、それを持たなければ真心に到達する喜びを知ることもなかったのだとわかります。実践冥想ヨガ行法は、人生かけて心を持つ人間を学ぶ行法です。

日常生活の小さな出来事はどれも価値ある教材です。

あなたも小さなことから始めてみませんか?

やりたいと思う人にいつでも扉を開いてヨガは待っていてくれます。​​

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自然治癒能力の向上・正姿勢への気づき

​ヨガの最終目的・独存知と歓喜法悦感

自分への回帰・心の探求と人生の旅路

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神奈川県茅ケ崎市東海岸北4-6-44イーストコースト雅101

茅ヶ崎駅南口徒歩13分   

Tel : 090-3510-9134

完全予約制 女性限定

定休日  月曜日

営業時間 10:00~18:30

お問い合わせ・ご予約メールアドレス

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