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  • Writer's picture湘南茅ケ崎 サロンハナミズキ

冥想は迷走を見破っていく


昨日のハナミズキブログ「心のメモ帳」に、


**思いのままに任せているようで、心のままにまかせていることあり**の文面に対して、


心のままではいけないのですか?との質問を頂きましたので解説します。



表面上のコロコロ変わる心につながって行動すれば、


「心のまま」にと言ったところで 迷走を繰り返すだけです。



一方、地中の奥深くに変わらずにあるような想いにつながることで、


迷走中を突破していこうとするのが実践冥想行法です。


冥想とは、


広く深く限りなく強く人を活かす想い = 至上意識(古典的言語)につながる訓練です。


別の言葉で言い換えると の「心のままに」の実現を可能とする手立てです。



二つはえらい違いですね。


前者は感情からなんでも動かす我です。欲しい欲しいの天才。


後者は真我(高次)です。感情は平静もしくは衰微の状態で冷静、人格者思考です。


心のままにと言っても、前者で動くか、後者で動くかでは結果は違ってきます。


前者はどこまで行ってもフラストレーションからは逃れられません。



私が一番納得のいく表現は「独存・カイヴァリア」ですね。


共存の名手。ですが共依存の欠片もない。というわけです。


経済的、心理的、精神的、肉体的、社会的等適応力が必ずあります。


変わらずにずっとある自分の望みをコツコツと実現し、


周りもなぜか幸せになる思考。



社会生活が不安定になるのは、ご自身の選択が迷走するからです。


何が迷走させているのかというと、知識や理性が伴わない脳があるから。


こちらは自我中心で利得をまず考えますし、


自立共存には消極的ですし、任されればやらされている感が常につきまといます。


物事にジックリ向き合えなかったり、すぐ乱されたり、


挙句の果てには対人関係で多大なズレなどを生じ、精神的ストレスをがんがん作り出します。


古典的な言葉で表現すると「貪り・怒り・知恵がない心」だそうです。



冥想はこうした上辺の心を払い、もっと奥深くの心につながるためにやります。


哲学書などで取り上げている「心のままに生きる」の意味は、


こちらです。



自己啓発本を読んで奮起したものの、えらい目に会った人たちは、


「心のままに」の意味を取り違えていました。



冥想をするためには、浅はかな考えを捨ててください。


自分と直向きせずして、


冥(ふか)い場所に宿している想いになど、触れることはないと考えて下さい。



それから上辺の心とは何か?


ハナミズキブログ「心のメモ帳」にがんがん取り上げてます。


上辺の心は人格問題に必ず関与してますから。


私が探究と研究を繰り返し、実際に人間で臨床したものたちです。



それらを止めたらどんな想いが立ち出でるのでしょうかね!?


チャレンジ精神とユーモア精神をもってやってみてください!


たとえまだまだ間違いが続いても、結果で教えてくれます。


失敗は成功のためにあるだけですよ。


これが古典の人格育成法で、実践冥想行法です(*^^)v






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