人格は変わらないものと考える方もいらっしゃいますが、
ちょっとそれは偏見かなとも思います。
大人でも事情をよく知ったとき、
今日から自分を変えていこうと決意し、
以前の性格に見事振り回されなくなった人も沢山いらっしゃいます。
自分が作りだす『自己定義』次第で、変えられるところは沢山あります。
アーユルヴェーダでは、
健康づくりの理論の中で、生命の探求を掲げています。
病気や不調は持って生まれた先天性から、
外部の環境因子が加わって、
自分らしからぬ後天性を身につけたため乱されていると考えます。
私はこの言葉がしっくりきました。
そもそも持って生まれた肉体は個性的で二つと同じものがなく、
生まれながらエネルギーに恵まれた人もいれば、
そうでない人もいます。
しかし、
文化慣習に沿って否応なく規範の中に取り込まれ、
順次必要な学習を熟していくように促されていきます。
学校から帰ってくると、もうヘトヘトになる人がいても、
『標準』『ふつう』という言葉を基準にジャッジが下されて、
自分をダメな奴なんだと責め、
責任を感じて発破をかけるような生活を余儀なくされてた人たちも少なくありません。
こうした事実を踏まえると、
個性の違いを認めることなく、
管理だけでひたすら自分にムチ打つ生活をしてきたら、
病気にならないほうがおかしいのかもしれません。
子どもが登園拒否を起こした際に、
大人が子どもの心に目を向けて柔軟にルールを変えていくと、
子どもの笑顔が戻りイキイキしてくることがよくあります。
それに似て、
大人になっても気持ちに寄り添って、
マイルールを改変するのは大事なはずです。
心を伴わせた日常のルールは、
『管理されている』『監視されている』感覚が薄れて、
むしろ心地の良さを感じさえします。
だから守りたくなります。
それは遥か幼児期のトイレトレーニングに見ることが出来ます。
排泄物の処理を知ることで、自ら進んでトイレで排泄するように変わります。
私たち人間はルールを守ることそのものは、
自分自身をこよなく愛して生きやすくすることであると、
心を伴わせてあげる必要があるのだろうと思います。
次回はこの問題が良く反映しているケースをご紹介しますね。
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