
不調の原因に、精神(認識作用)と心理(感情作用)の扱い方が関わっています。
どうやら文化によって違います。
基本は、
その人がどのように世界を見て、
見たものをどのように捉えて、
頭でどのように組み立てて、
そして処理しているのか?
に着目し、
『その人』が『その人』を把握するために扱われます。
例えば、
泣いている子どもがいます。
その子に対して、
周りの人がどのように対処するのか!?
泣いている子に対して、
『何を見て』、
『どう捉えて』、
『そしてどんな感情が現れ』、
『どんな気持ちや思いが生じて』、
『どうしたらよいかと求めて』、
『最後に行動した』と、
一連を捉え直せる援助をしているのかどうか。
上記の対応なら、
『その子そのもの』が良くわかります。
出来事のなかで、
その子が『その子』を把握する機会にもなってますし、
まわりのその子の特徴を把握する機会にもなってますね。
さて、あなたはこのような対応を周りの人にされてきましたか?
泣いている子はおかしい。
泣いても仕方がない。
泣いてる場合じゃない。
人に見られて恥ずかしいことはしないこと。
○○しなさい。
などと、指導を受けてきませんでしたか?
一体どんなところで『わたし』を調べるのでしょうか?
把握の仕方を間違っていると、
『わたし』そのものが、
先天性とはかなりかけ離れたものになります。
つかみどころのない『わたし』であるために、
自分の気持ちや思いさながら、
物事への対処の仕方を過っているので、
不調や病気になると考えたことはありますか?
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