一昔前までは、
忙しいという言葉が『デキる人』の象徴で、ステータスになっていましたね。
ところが今では???と感じる人も多く、
人それぞれと割り切る人が増えました。
当たり前と思っている一般社会通念は、
よくよく考えると、
それが常に正しことを謳っているわけではありません。
あくまでも時代や『そのとき』のものなのです。
力を抜くことができない状態を、強いからできると錯覚したのかもしれない。
誰かへの競争心や嫉妬心が、活量みなぎると錯覚したのかもしれない。
忙しいという字そのものも、心が亡くなると書きますしね。
ものごとをゆっくり深く観る・携わることでしか、
どうしても味わえない『心』があるものです。
その心は、
日々の雑事といわれる類のなかにたくさん転がっています。
安穏、安住。心が満たされている喜び。
心が落ち着いて生きているという感じ方が、
人に流されない、
『自分の人生を選んで生きている』という大きな手応えに結び付けてくれます。
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