こころがみだれるとき、
『自我』が暴れていて、
だってだって・・・・と保護と甘えを訴えています。
感情的も感傷的も、
人間ならかならず体験することですし、
嫌だといっても何かの拍子に出るものです。
『自分』があると、
感情的、感傷的に気づいては、すぐ言葉をかけてあげられます。
その速さは人を介すよりも断然早い。
自我のこわばりを融かしてあげられるので、
自我は自分の中で安心します。
アーユルヴェーダの人生の課題(四本柱・プルシャールタ)のなかで、
『精神的喜び』を見つけることを取り上げています。
それがこれ。
物質を介さず、
精神ひとつで自己を満足させてあげる術を持つように教えています。
※自己とは精確にいうと『自分』と『自我(己)』の二つがタッグを組んでいること
人生を豊かにしてくれるのはいつだって自分です。
以下はお暇があったらお読みください。
介護老人福祉施設を経験し、脱サラして12年。
自立支援を促すサロンとして活動してみてわかったことは、
限度の知らない自我だけになる人生もあるってこと。
トラブルを起こす火種はいつだって限度を知らない自我(エゴ)です。
老年期に入っていけばいくほど、
人生を先導していくのは習慣化された『心の性向=人格』です。
認知機能が低下するとき、
そのひとの『自我』がもっともわかりやすく現れます。
体裁(建て前=疑似成長)は使用できなくなり、
飛び出してくるのは本音(=本性)です。
本性は、
もともと若い頃から消えることなく潜在意識化に存在してますから、
出てくるのは当然です。
こうした大事なことを知らずに、
わたしたちは超高齢化社会に身を置いています。
後になって悔いても心理はやすやすと消えてはくれません。
若いうちから自省をしては『自分』をとることが、
役立ってくれるのではないかと思います。
それをこれからも伝えていこうと思います。
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