嵐のような時間だったと思っていたことが
嵐のようだと感じながら時間を過ごしていたんだと使う言葉が変わるとき
辛い感情を手放し事実だけを冷静に学びとして
大切に受け入れている成長した自分があるのだと思います
途切れていた時間がまた流れ始めて
新しい課題に取り組むために扉が開きます
古びた価値観は新しい自分には必要ありません
古びた自分にしがみつくこともありません
嵐に取り組むのが精一杯だったあの頃を
ずっと後になって思い出してみると
自分の辛抱強さにびっくりすることがあったりします
辛さを抱きしめることはけして損ではないことや
嵐のおかげでいらないものがスッキリ取り払われて
見通しが良くなったりする爽快感は
自分の人生に誇りを持てと言葉ではなく
命の力が語っているのかもしれません
嵐は自分本来の才能を引き出すためにあったのだと
自然の必然的な力に感謝すること
運命に立ちはだかるものなどなくただの課題なのだと思います
本当に価値あるものは見えにくい 見えないです