「知」とともに生きることは、
自分の人生をしっかり生きる手ごたえを味わえます。
私を100%幸せにすることが出来るのは私だけ。
この言葉の意味を噛み砕くことが可能になります。
なんせ「私の持ち物(心・頭・体)」の最高の理解者になるのですもの。
救い主は私。私しかない。
外部環境のモノ達は、自分自身(内部環境)をたっぷり理解するためのヒントして与えられているの。
なんてありがたいことでしょう。感謝です。
「知」の開発の基礎コースをこれからご紹介していきますね。
体得しないと意味はない。だから実践してくださいね☆
まず「自己愛」を育成していきます。
これね、「自己中心的」「我がまま」とは全く違います。
そっちは「未熟な自己愛」「歪んだ自己愛」です。
ぶっちゃけた話、
メンタルで躓いている人の特徴は、健全な自己愛を育成してこれなかった人なのよ。
理由は、他人と自分を同一化することしか学んでいない。
価値観の刷り込みから起こす模倣行動の連続ばかりなのよ。
なぜそんなことになるのかというと、
心の領域を侵害しないバウンダリー(境界線)の意味を学んでいないのね。
個人の特性を守る手段(自己愛)を親から教えてもらっていないのよ。
彼らの環境に沢山あった習慣は、主体性をことごとく奪われて従うことばかり。
残念ですが、健全な自己愛を知らない親からは学べません。。。
けして同じ方向を向くことこそ「安全」ではないのよ。
本来は、親の安全な保護のもと、
子の主体性づくりや自己愛の育成のために、沢山の経験をさせて味合わせてあげることなのよ。
色んな経験で味わったことの中から、個人の特性やパターンへの自覚がなされていくの。
個人の尊厳、意見の樹立、洗練された行動が、年月をかけて作られていく。
自分を大切にする手立てを知っているから、他人を大切に扱えるようになるの。
成育歴をお訪ねすると、
親子関係の中で境界線を引かず、同一化したがる親が多いのには、まことに驚かされます。
言われるがままや、従うこと以外は親から叱られてしまう強要や、育児放棄、
心配や不安ばかり、規則化したルールの厳守のみでは、人の「自己愛」は育たない。
そのため、四六時中他人の顔色を伺い予測し、同調することしかしていない生活をしています。
これでは不自由極まりない。
境界線が引かれずに自己愛が育成されなかった場合、
ご本人の心に大きく育まれてしまうのは「依存性」「同一化していない不安性」「強迫性」です。
同一化し犠牲を強いられた者は、後に必ず自己を過剰に満たそうとする時間がどうしても必要になる。
それゆえ「未熟な自己愛」「歪んだ自己愛」が作られてしまうのです。
「未熟な自己愛」「歪んだ自己愛」は、自分自身を蝕むか、他人を蝕むかの手段しか残らない。
結果、通俗的既成概念や粗雑な知にただ振り回される人生で終わってしまう。
ということで「健全な自己愛」は他者との円滑なコミュニケーションの基礎です。
親しき中にも礼儀ありよ。
バウンダリー(境界線)を引く習慣を訓練していきましょう。
フリースタイル人生に向かいたいなら、自己愛をちゃんと作らないとね(*^^)v
アーユルヴェーダの四本柱であるプルシャールタに、ちゃんと息づいています。
①ダルマ→大義を果たすこと。
自己を最大に活かす役目は、自己愛なくしてやれません!