植物が突然種から大樹になることがないように、
人間性もいきなり突然高次性になることはありません。
まず事実を見る目を最優先に考えていきましょう!(リアル重視)
そのずっと先で、
二元論(プルシャとプラクリティ)の宗教観念に結びつけても大丈夫なんですよ。
真我や絶対神などの有神論にいきなり直結すると、
マインドコントロールが起こる。
万能感には誠に注意が必要です。
複雑な論理を落とし込めるだけの思考がないと、
失調型パ-ソナリティ傾向に向かいますよ。
安易な文章読解や想像に振り回されて、
現実と非現実の逆転が容易に起きます。
これらが起こる要因は、
熟考の姿勢が頓挫していることです。注意してください!
前置きはこの辺にして、
今日は、高次と低次の使い方をイメージで説明しますね。
人に生まれると持たされる機能は、
①肉体
②知覚器官
③知覚神経器官
④脳
です。
それらが総体的に機能すると、
感じる、考える、動くが可能になります。
行為が作られます。
一番の難関は、④脳による識別力です。
そこで、覚えてください。
脳の仕組み。
大脳辺縁系において人は感情を作ります。
そしてさらに大脳新皮質にて思考が上乗せされます。
二つのタッグで、
それぞれ低次と高次処理が行われます。
感情の低次は、思考の低次に繋がります。
行動が感情論で、未熟幼稚な行為になります。
自己中心的、我がまま、未発達、利己的、安易な行為です。
自己満足のために顕示性がやたらと強くなっていきます。
ダルマの逆で説くと、
暴力的で嘘つきで時間の盗人で機会を逃して、
我に執着して改善しない進歩しないって感じ。
恐れがとても強く、自我を守ることだけに執着し、
いい結果は生みません。(←やな感じ)
でも、
問題を受け容れ、
内省と改善によってものごとの道理を知れば、
低次の感情に振り回されることは少なくなります。
高次の感情でしっかり包み込み、(←優しさ、愛情)
高次の思考で改善した行動が選択できるようになります。
訓練で内なる声が、
低次な自我の声なのか、
それとも、
高次な真の教えなのか、
聴き分けが出来るようになります。
沢山の行為の改善で、
すっかり④脳機能の中に高次の思考処理が発達して、
人間の本質(低次)を理解していける。
低次を暴走させないように、無理なく抑制が出来るんです。
経験なくして、
問題の道理は説けないし、身にも付かないもの。
低次を知る経験がフリースタイル人生を可能にします。
自分を犠牲にしない。
他人も犠牲にしない。
そこにはダルマがあります。
長い年月をかけて熟考する姿勢を実践者に求めるのはなぜでしょうか。
理由があります。
低次の感情は、結果や期待を気にするあまり時間に恐れを感じ、
低次な思考を働かせます。
即結果&最上級を望むあまりに「誇大化」「理想化」した自我を作って振り回します。
デキル人間を目指して落とし穴にハマる合理化思考。。。
これも人間の本質にある「幼児性万能感」ゆえ。
じっくり経験する道を歩む中でしか「徳」はもてない。(得じゃないの)
身に着いた道徳律は、
とても力になってくれます。
時間を沢山かけていいんです(*^^)v
この力は、心理的・経済的・精神的自立に影響を与えていますよ。
難しそうと思わないでね。
最初は誰でも低次から始まります。
経験の中で行為を見つめ、
沢山自分に話しかけて、
内なる真の教えの声に繋がってください。
植物が突然種から大樹になることがないように、
人間性もいきなり突然高次性になることはありません。
まず事実を見る目を最優先に考えていきましょう!(リアル重視)
そのずっと先で、
二元論(プルシャとプラクリティ)の宗教観念に結びつけても大丈夫なんですよ。
真我や絶対神などの有神論にいきなり直結すると、
マインドコントロールが起こる。
万能感には誠に注意が必要です。
複雑な論理を落とし込めるだけの思考がないと、
失調型パ-ソナリティ傾向に向かいますよ。
安易な文章読解や想像に振り回されて、
現実と非現実の逆転が容易に起きます。
これらが起こる要因は、
熟考の姿勢が頓挫していることです。注意してください!
前置きはこの辺にして、
今日は、高次と低次の使い方をイメージで説明しますね。
人に生まれると持たされる機能は、
①肉体
②知覚器官
③知覚神経器官
④脳
です。
それらが総体的に機能すると、
感じる、考える、動くが可能になります。
行為が作られます。
一番の難関は、④脳による識別力です。
そこで、覚えてください。
大脳辺縁系において人は感情を作ります。
そしてさらに大脳新皮質にて思考が上乗せされます。
このタッグにおいて、
それぞれにおいて低次と高次処理が行われています。
感情の低次は、思考の低次に繋がります。
行動が感情論で、未熟幼稚な行為になります。
自己中心的、我がまま、未発達、利己的、安易な行為です。
自己満足のために顕示性がやたらと強くなっていきます。
ダルマの逆で説くと、
暴力的で嘘つきで時間の盗人で機会を逃して、
我に執着して改善しない進歩しないって感じ。
恐れがとても強く、自我を守ることだけに執着し、
いい結果は生みません。
わかりやすい例は、
等身大の自分を避けるのは非現実の一つです。
本心を欺くのも、非現実の一つです。
でも、
問題を受け容れ、
内省と改善の連続によってものごとの道理を知れば、
低次の感情に振り回されることは少なくなります。
いずれ高次の感情でしっかり包み込み、(←優しさ、愛情)
徐々に高次の思考が発達すると、改善した行動ができるように変わっていきます。
これが高次の行為です。
訓練で内なる声が、
低次な自我の声なのか、
それとも、
高次な真の教えなのか、
聴き分けが出来るようになるのです。
沢山の行為の改善と工夫の中で、
すっかり④脳機能の中に高次の思考処理が発達して、
人間の本質(低次)を理解していける。
だから動じることなく、
低次を暴走させないように、無理なく抑制が出来るんです。
経験なくして、
人間性の倫理は説けないし、身にも付かないもの。
低次を知る経験がフリースタイル人生を可能にするのです。
自分を犠牲にしない。
他人も犠牲にしない。
そこにはダルマがあります。
長い年月をかけて熟考する姿勢を実践者に求めるのは、
理由があります。
低次の感情は、結果や期待を気にするあまり時間に恐れを感じ、
低次な思考を働かせます。
最上級を望むあまりに「誇大化」「理想化」した自我を作って振り回します。
デキル人間を目指して落とし穴にハマる合理化思考。
これも人間の本質にある「幼児性万能感」ゆえ。
低次パターンですね。
じっくり経験する道を歩む中でしか「徳」はもてない。(得じゃないの)
身に着いた道徳律は、
とても力になってくれます。
時間を沢山かけていいんです(*^^)v
この力は、心理的・経済的・精神的自立に影響を与えています。
最初は誰でも低次から始まります。
経験の中で行為を見つめ、
沢山自分に話しかけて、
内なる声に繋がってください。