物凄い禁欲生活とか出家とか、イメージしないでくださいね。
ただ長年やっていると、自然とそんな風になっちゃうんですけどね(笑)
なんでかっていうと、
自分に必要なものは何かを大抵理解しているので、
その人なりの必要なモノだけで、生活が営めちゃうからなのよね~
見渡せばとてもシンプル(笑)
だから持ち物(肉体も含みますよ)で振り回されるってことはあんまりない。楽チン。
不自由もない。(pq´v`*)♪ありがたや~
何を取り入れていくかのお勉強と経験をすれば、自ずとそうなっていきます。
人生のサイクルってあるんですよ。それをご紹介。
四住期っていいます。
①学生期(がくしょうき)・・・訓練と教育の期間、知識・肉体・精神において鍛錬
②家住期・・・一家の主人となって社会活動に積極的になる期間・社会生活の実現
③林住期・・・俗世と縁を絶って森に退く期間、物質満足だけではなく精神的活動の充実
④遊行期(ゆぎょうき)・・・陰者となる期間、俗世的成功不成功に囚われず無私の奉仕行為の充実
例えば、私個人的には③&④です。
四住期の中で最も中心になる②の時に比べると、
環境も持ち物も生活スタイルも役割も変わっています。
簡素な目の前のモノに集中し、すべきことをするだけになってます。
もう自然な流れそのものが心地いい。
②の頃の忙しさは見当たらない。
今はハナミズキと一緒にシンプルライフです。
古き教えでは、
高次の思考になると、
純粋性が備わると言われています。
私が表現をするとしたら、
エゴに振り回されるという感覚が薄くなる。
平穏好き。あと偏りがなくなる。
目移りがなくなって安定してくる。
必要なモノしか何故か残らない(笑)
何が起きたとしても、それも自然の流れの一部。
予想外慣れしてくる。楽しい。
死もいずれ訪れる。だから身辺整理もしている。
諦観していると覚えたらいいのかもね。
人が欲しがるものって人それぞれだと思います。
抱えているモノだって違うと思います。
いずれにしても、
条件は人それぞれ違っていても、
それを元手に、
暴力的な考えで強引・強欲な行動をしていないかとか、
成長している努力を日々しているかとかは、誰でもできますでしょ。
すると欲しいと思っているモノが、うでもなく、
必要ではないものだったと分別が着いてくる。
当然手放すのも早い。
だってこれって「個人の人格の問題」じゃないですか。
メンタルヘルスです。
つまり、
とても身近なところで実践が可能。現実的。
良く質問受けるんですけどね、
別に修道場にいかなくったってこれは出来る事よ。
どこでも活用できる。
今ある家族、所属の場、恋愛、結婚などで十分に実践可能。
っていうかそこでやるから意味があるのではないでしょうか。
逆に、あんまり条件に拘ると、
条件が揃った場所でしか通用しない状態になって意味ないのよね。
って覚えてください。
信仰崇拝は、これになりがちなのよ。
だから場所を変えず、現実から目を逸らさないことだと思います。
まずはスタート、心の状態を検討つけます。
5つあります。
①ムーダ・・・惰性が強く頑固気質で物事に無頓着。暗躍うつ状態。
②クシプタ・・・動性が過剰で精神状態が分裂気質。渇望状態。躁状態。
③ウイクシプタ・・・心が興奮して散漫状態。楽しむ能力はあっても欲望の整理がつかない。都合勝手。
④エーカーグラ・・・努力家で知力行動もあるが、自己中心的で他人の犠牲を厭わない。目的達成のみ。
自分の状態を知っておいて、ここから発展させていけばいい。
目指すは、
⑤ニルッダ・・・(宗教ちっくは省きます)心と思考の状態は安定し、物事に明晰な判断が行えている。極論がない。中庸。
⑤の状態は、心理的・肉体的・精神的・ならびに経済的において健康で、
かつ社会的においても実直な参加が可能で貢献ができている。
と思ってください
今昔流れは一緒。
①個人的な問題の解決に始まり、②身近な家族への貢献と社会的貢献を可能にし、
③そのパーソナリティをもって活動し、人間の本質を他者に解くことも可能にする。
経験の中で培った「徳」をもって、人の役に立てるように出来ればいい。
別に浮世離れしたお話ではないですよね。
心の仕組み、人間性の問題、思考の偏りから起こる低次な行為から、
しっかり解き放たれて脱出している状態になれれば、
自由ってわけ。
信仰より行為を重視していると、
リアルな解脱の基礎ができる。
道徳律から繋がる解脱は、けして怪しいものではありません。
どうぞご安心して心の実践法をしてみてください。
日常生活から現実逃避してしまったら本末転倒ですものね。
今いる環境をベースに考えてくださいね。
私のアーユルヴェーダは、
1、メンタル(心理的)・・・感情と欲情のコントロール
2、フィジカル(肉体)
3、スピリチュアル(精神的)・・・理性と知性の発達
4、ソーシャル(社会的)
4つのの健全を手に入れるためにやりますよ~(*'ω'*)
物凄い禁欲生活とか出家とか、イメージしないでくださいね。
(ヨーガ行法をガッツリやりたい人はやってください)
ただ長年やっていると、自然とそんな風になっちまうんですけどね(笑)
なんでかっていうと、
自分に必要なものは何かを大抵理解しているので、
その人なりの必要なモノだけで、生活が営めちゃうからなのよね~
見渡せばとてもシンプル(笑)
だから持ち物(肉体も含みますよ)で振り回されるってことはあんまりない。楽チン。
不自由もない。(pq´v`*)♪ありがたや~
相応しい経験をすれば、自ずとそうなっていきます。
人生のサイクルってあるんですよ。それをご紹介。
四住期っていいます。
①学生期(がくしょうき)・・・訓練と教育の期間、知識・肉体・精神において鍛錬
②家住期・・・一家の主人となって社会活動に積極的になる期間・社会生活の実現
③林住期・・・俗世と縁を絶って森に退く期間、物質満足だけではなく精神的活動の充実
④遊行期(ゆぎょうき)・・・陰者となる期間、俗世的成功不成功に囚われず無私の奉仕行為の充実
例えば、私個人的には③&④です。
四住期の中で最も中心になる②の時に比べると、
環境も持ち物も生活スタイルも役割も変わっています。
簡素な目の前のモノに集中し、すべきことをするだけになってます。
もう自然な流れそのものが心地いい。
②の頃の忙しさは見当たらない。
古き教えでは、
高次の思考になると、
純粋性が備わると言われています。
私が表現をするとしたら、
エゴに振り回されるという感覚が薄くなる。
平穏好き。あと偏りがなくなる。
目移りがなくなって安定してくる。
何が起きたとしても、それも自然の流れの一部。
死もいずれ訪れる。だから身辺整理もしている。
諦観していると覚えたらいいのかもね。
人が欲しがるものって人それぞれだと思います。
抱えているモノだって違うと思います。
いずれにしても、
条件は人それぞれ違っていても、
それを元手に、
暴力的な考えで強引・強欲な行動をしていないかとか、
成長している努力を日々しているかとかは、誰でもできますでしょ。
だってこれって「個人の人格の問題」じゃないですか。
メンタルヘルスです。
つまり、
とても身近なところで実践が可能。現実的なのよね。
良く質問受けるんですけどね、
別に修道場にいかなくったってこれは出来る事よ。
どこでも活用できる。
今ある家族、所属の場、恋愛、結婚などで十分に実践可能。
っていうかそこでやるから意味があるのではないでしょうか。
逆に、あんまり条件に拘ると、
条件が揃った場所でしか通用しない状態になって意味ないのよね。
って覚えてください。
信仰崇拝は、これになりがちなのよね。
まずはスタート、心の状態を検討つけます。
5つあります。
①ムーダ・・・惰性が強く頑固気質で物事に無頓着。暗躍うつ状態。
②クシプタ・・・動性が過剰で精神状態が分裂気質。渇望状態。躁状態。
③ウイクシプタ・・・心が興奮して散漫状態。楽しむ能力はあっても欲望の整理がつかない。都合勝手。
④エーカーグラ・・・努力家で知力行動もあるが、自己中心的で他人の犠牲を厭わない。目的達成のみ。
自分の状態を知っておいて、ここから発展させていけばいい。
目指すは、
⑤ニルッダ・・・(宗教ちっくは省きます)心と思考の状態は安定し、物事に明晰な判断が行えている。極論がない。中庸。
⑤の状態は、心理的・肉体的・精神的・ならびに経済的において健康で、
かつ社会的においても実直な参加が可能で貢献ができている。
と思ってください
今昔流れは一緒。
①個人的な問題の解決に始まり、②身近な家族への貢献と社会的貢献を可能にし、
③そのパーソナリティをもって活動し、人間の本質を他者に解くことも可能にする。
経験の中で培った「徳」をもって、人の役に立てるように出来ればいい。
別に浮世離れしたお話ではないですよね。
心の仕組み、人間性の問題、思考の偏りから起こる低次な行為から、
しっかり解き放たれて脱出している状態になれれば、
自由ってわけ。
信仰より行為を重視していると、
リアルな解脱の基礎ができる。
道徳律から繋がる解脱は、けして怪しいものではありません。
どうぞご安心して心の実践法をしてみてください。
日常生活から現実逃避してしまったら本末転倒ですものね。
今いる環境をベースに考えてくださいね。