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  • Writer's picture湘南茅ケ崎 サロンハナミズキ

生きて活かすことが目的


先月末から「心のメモ帳ブログ」でご紹介した「自然法則(7つの法則)」に、

色んなご感想をありがとうございます。

もっとも多かったご感想は、

「もっとスピリチュアル性が強いものだと思ってました」ってことだったのね。

夢が叶って、

イイことが沢山起きて、

楽しくってスピリチュアルすごい万歳って感じをイメージしていたのかもしれませんね。

それ快楽原則ってハッキリ言うわ。

それで終われないのが自然法則よ。

行動せよ。

黙って座っていて、事が叶うと思うなかれ。

精神年齢が上がると思うなかれなのよね。

精神ってその名の通り「神様のような精力」って意。

これって取り方によっては迷信妄信になるのよ。

人間の原始的な質(感情と欲情)に溺れることなく、

物事を解釈していけるだけの力と捉えて欲しいのよね。

解釈が違うと随分と身近なモノになります。

で、その精神年齢に対応して、

人は浄化法を段階的に高度にしていく必要があるの。

最初は子どもでも出来る暗示法から始めるの。

差し出されたものを記憶模倣して身につけるのね。

バクティ(信愛)→カルマ(行動)→ジュニヤナ(知識)と高度化していくの。

ジュニアナは学者肌でないと難しいと言われた所以。

一口にスピリチュアルと言っても扱っている階層が違うのよ。

達成者はその人の精神年齢や知能の発達に対応して、

心や命の仕組みを咀嚼した状態で渡せるようになると言われてます。

またその昔、

顕かにされたモノを教わる顕教と、

自らの力で辿り着く密教は、

その人の外向きや内向きの性質によって、

選択肢が変わってくるとも。

外向きは記憶・追従・模倣で顕教向き。

合理的。

ただこちらは、

資料に人を合わせてしまう危険が伴うスタンスになりやすい。

現代の教育システムはこっち。

一方密教は、試練が半端ない。

だから多くの人は合理的な顕教を望むようになったのよね。

自然法則が廃れていく理由にもなってます。

人はラクをしたいイキモノなのでしょうね(笑)

そうそう神頼みってあるじゃないですか。

あれね、やり方があるのよ。

「神様、どうかなんとかしてください!」では、そっぽ向かれます。

知らん顔よ。

「神様、○○しようと努力していきますので、見守ってください!」ってやんのよ。

ばっちり働きますわよ。

これだけでもわかりやすいわね。

前者は合理的。

努力や貢献はおざなり。快楽原則。

後者は非合理的。

努力や貢献の上に成り立つ。現実原則。

意図の誤用は必ず我が身に返ってくるようになってます。

だから意図が「要」なのよ。

精神性と心理は切り離して考えることは出来ません!

ここがポイントよ~

そうそう、

意図の誤用に加担するのは「直勘」。

多くの人が「勘違い」と出所が一緒の「直勘」を「直感」と思って使ってしまう。

これね、区別が難しいのよ。

でもカルマの法則が働いて、後に誤用とわかるようになってるから大丈夫なんだけどね。

のちのち分析が可能になる。

頭が「低次」「高次」の認知を区別するようになるわ。

自然法則の凄い所は、

ショートカットが出来ないようになっているところ。

姑息・腹黒さ・自己中を外し、

純粋に自分の成長を求めるときには「直観力」が働きだす。

識別・分別力が俄然働きだす。

これを『五感が研ぎ澄まされる』って表現することが良くあるわ。

個人の特性を大事にした生き方に入ると、

これが良く働きだすわよ。

快楽報酬を求めたものでもなくて、

社会的報酬や承認に囚われるわけでもなくて、

自分ヨシ、他人ヨシ、地域ヨシ、天ヨシって感じの心構えをもつこと。

他人との勝ち負けを目的としない、

どっちが力を持つのか、どっちが上か下か、どっちが早いか遅いかに悶着しない。

個性の発展を唯々求め、他者のためにも役立てるように成長したいって思う人には、

まるで味方が増えたかのように物事の経過がスムーズなのよ。

しょせん感覚の問題なんだけど、

されど重要な感覚。

なぜって!?

あらゆる感覚が私たちの認知に影響するからよ。

その認知が人を幸せにも不幸にもするの。

後押しや応援をされているって感覚は、

あって困るもんじゃないと思うわ。

だから私は自然法則の心育法を好みます。

哲学的な心理教育も使ってみると、

いいところがいっぱいあります。

私たちは、毎日を丁寧に生きる必要があります。

弱い所も守りながらゆっくりと、

生きて活かすこと。

とてもシンプルな目的だけど、優しい生き方なんだろうと思います(*^^)v

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