アーユルヴェティックライフの自由さは、
やってみればわかります。
人生は最初の設定企画外になる。
それがオモシロイところ。
人生哲学では「お任せの境地」と名がつけられてます。
それは投げやりや空っぽになることとはちょっと違います。
支配的な企画はしなくてよいってこと。
雑事だろうが日々成長することだけを考えて向き合っていたら、
果てにどんな自分になっているのだろうかと思うようにするだけ。
変な所で支配的になり拘ると、物事は停滞し面白くないことが起きると、
言いたいのだろうと思います。
今は昔と違って情報社会です。
あり過ぎて目移りしやすいのかもしれません。
それで「やりたいこと」「やれること」「やるべきこと」が複雑に入り混じって、
どれを選んでよいやらわからなくなるのだろうと思います。
かっこよく見られたいとか、
素敵だねって言われたいとか、
早く出来上がった状態になっていたいとか、
どこかで夢が広がり過ぎてしまうのだろうと思います。
利便性に囲まれるって、便利だけど掻き乱されやすいのかもしれませんね。
だったら息抜きに大昔を想像してみる。
見渡せばそんなに豊かな情報は飛び交ってはいません。
となれば自分と向き合う時間はたっぷりあるはず。
なぜかこれをやると楽しい、とてもスムーズだなと思うものが、
きっと見つけやすかったのだろうと思います。
質素・素朴なほうが迷わなくてすむのかもしれません。
そこで提案。
意識的に無駄な企画をしない。
企画外、規格外でギフトに出会えると思っているぐらいなほうが、
目の前のものに集中しやすく、
意外に楽しくてラクだったりします!(^^)!
アーユルヴェティックライフって、
いい意味で天運を巻き込んだワガママ洗練ミッションだと思えます。
これ育ててたら一体何につながるんだろうねって考え方は、
結果に拘らない自由奔放さと責任を持たないといけない。
でも度胸は繰り返しで育つものではないかしら。
考え込みやすいクライアントさんには、
自分を適度に知っておいてまずやってみる。
自分を活かす社会参加にだんだん近づくって幸せなプランではないかしら。
そんな意欲的なソーシャルを持った人を社会も待っていると思いますけど( `ー´)ノ
と伝えてます。
やってみて、合わなくても凹まない精神を実践で作ってみる。
私の周りにいるアーユルヴェティックライフ好きは、
そんな図太さと一緒に毎日を送ってたら、
企画外のギフトに出会わされてきた人たちな気がします。
(頼りになるギフト)
私の大切な人はいい音を奏でる人だなぁって思ってます。
私が出せない音を奏でます。
違った音を奏でる者同士が一緒に居ると、
そこには合奏が生まれます。
同じ音でなくて良かったと大切にしてくれます。
紛れもなくその人との出会いはギフトでした。
自分らしさを大事にしていたら、
自分らしさを大事に成長させてる人がギフトで与えられるんだなぁと思います。