今日は蟹座新月で日食です。
パワーがあります。
天空見てるとなんか解放されている感じがあるかも。
私も今日を皮切りに、今までとは違う目線で伝えようと思いました。
ちょっと長めだから暇なときに読んでください。
サロンを作ってからというもの、
どこから情報を得てくるのかわからないのですが、
ヨガ行法の精神鍛錬について知りたくて、
プロと言われる人たちがお越し下さるようになりました。
昔、私自身20年越えしたころ、
ふと巷を観たら「これがヨガなの!?」と疑問に思うことがしばしばありました。
随分と「体操」に熱が入ってますねと。
実際にヨガビジネスに足を突っ込んでみて、個人的にも実感しました。
結果「アサナ(肉体訓練法)」がメインになっていて、
精神鍛錬についてまったく知らないまま指導者の肩書を持ってしまってたようです。
生徒さんに聞かれても「わからない」と応えるしかない辛さ。
相談する場所がない辛さ。
本来ヨガ指導者とは「人間の人生を教え説き導く者」ですのでね。
本分とはかけ離れて、
アサナばかりを教えていることにご本人が不安を覚えていました。
学習にお金が異常にかかること、
ステイタスに近くなっていること、
人気商売をしていること、
集客に固執していること、
話題をまかなくてはいけないこと、
八支則の全体像を実証・感覚でつかめていない辛さ。
随分と心を痛めていたようです。
そうした事情を深々と知っている人たちは、
表だっておらず独存的で、
精神鍛錬でもった技術を活かしながら各方面で生活しているもんです。
専門分野を持っていて喧騒社会から逸脱していることはありません。
私が出会った方々は宗教家でもありません。
むしろ道徳観の意識がとても高くなっています。
人生哲学がまたイキ。
人間臭い。動じない。ヨガマットもない(笑)
きれいごととは程遠く、谷底からの復活劇ですねっていったら笑ってた。
ハナミズキのブログをお読みいただいている方にも、
さらっとですが精神鍛錬の原理をこれからご紹介しようと思います。
そうそうアーユルヴェティックライフとイコールですよ。
精神鍛錬とは修道場に行かなくても出来ます。
なぜなら、
日常生活の中で私たちが出会う『不愉快』が、
精神開発になるお勉強材料だからです。
では精神(ブッディ)とは何ぞや!?
人間の習性を細かく理解し、
それに飲み込まれることなく、
感情、五感、神経を、
意思の閣下に置いて生きてみることを可能にする力。
有益・健康に導き、人間を高次元まで引き上げる意思、
知恵とも言います。
素晴らしい意識です。
教訓は、
小さな家族の中で不愉快が上手に処理出来ない者が、
大きな枠組みに入って出来るわけがない。
小さな枠組みの中、自分で風紀を作れず律することが出来ない者は、
所詮誰かの教えを真似することぐらいしかできず、
翻弄されるものである。
また精神開発や解脱は、隠遁で手に入れるものとは違う。
精神開発はあなた自身のためになるものである。
教訓を汲むことが長続きの秘訣じゃないかしらねって、
個人的ですが思ってます。
ある程度年齢が上がってくれば、
人に頼らず自発的に生活リズムを整え、
身の回りの世話を焼くことは出来るもの。
勉強も研究も出来ます。
ところがその土台が出来てないと、
修道場にいったところで、
感情・五感・神経が暴れて規範に過敏になるか、
もしくは静かな所でなら、やっと鎮まるに過ぎない程度になります。
精神鍛錬とは、
隠れている人間の習性(低次元 = 幼さ・弱さ・狡さ・脆さ)を見つけ出し、
それを意思の閣下に置き調教する訓練なのです。
私はこの人間の習性を『赤ちゃん心理』って名付けています。
我(アハンカーラ)の象徴ですね。
どちらかというと個人的に性悪説のほうが納得をしていますし、
ほったらかしていたらトコトン行動選択は悪くなるものと理解してます。
何が言いたいかというと、
我なんてものは修道場に行かなくても、
あり過ぎるほど日常生活にあるでしょと言いたいのよ。
ヨガの先生にこの話をすると、
お金も時間もいっぱいかけた人ほど撃沈する。(ゴメンヨ)
でも嘘言えないし。
今までのことも勉強材料になるから、
打たれ強くなってください♡
まずは日常生活で精神鍛錬が出来るものと認知してください。
・依頼心を捨てる
これを念頭に置いて自主的に課題汲んで動いてください。
途中で「メンドクサイ」「ダルイ」「カッタルイ」とか出てきたら、
それが鍛錬材料になります。ははは♫
心理の本家「心のメモ帳ブログ」とドンピシャに重なっております。
・幼児期前期の課題「自律性と恥」
・幼児期後期の課題「自発性と罪悪感」
・学童期の課題「勤勉性と劣等感」
毎日コツコツ修練してイキな精神力をみんなで作っていこうね~