物事をありのままに観ることを如実に観る といいます。
如実に観てそのまま実行することを如来 といいます。
ありのままに観てありのままに行える。
行動選択したものが、正覚でしかも最も調和されている。
とても高度に物事を観れて行えている状態が瞑想行法です。
ここで活躍してくれているのがブッディ(覚性・仏性)。
瞑想とは黙ってジッとしているときだけに発生し、
限られているわけではありません。
これの反対が、囚われや引っかかりがある邪な物事の観方。
自分勝手な思い込みや偏りですね。
瞑想行法をするには、
普段から囚われを無くした空ずる行法を実行します。
まとめ。
正しい行動へと人を導いてくれる頭になるために、まず空ずる行法をする。
人生の至る所で正しいスタンスが取れる頭が、実践瞑想行法って覚えてください。
流れ。
日々丁寧に衣食住や仕事を通して、
勘違いな物の観方を見つけてはクリアリングし、
邪な考え方をどんどん空ずるのね。
集中力と洞察力が高まり囚われを解いてくれると同時に、
知性や理性を向上させてくれます。
独立した状態で分別がつくようになるのよね。
空ずる行法をさらに続けていくと、
理知をもっと上から検閲してくれるブッディ(覚性・仏性)の発現。
因果関係を解いてくれる力があります。
囚われから解かれた意識は広がりを得て、
物事を深く広く(瞑想)捉え、ブッディで処理できるようになるってわけ。
こうして徐々に人のなりを高度に引き上げてくれる仕組みです。
ここでの人格は一般的な自己開発(アイデンティティー人格形成)に比べて、
グレードが格段上がった自己確立です。
叱られそうなほど端折ったけど、流れを掴んでいただけたかしら!?
瞑想する能力は、
人格育成の積み重ねによって培っていくものであるといいます。
だけれども、
浅はかな考えを同時に持つのも人間の習性でして、
人によってはある日突然天才レベルになることを望んでしまうんですと、
古来から注意事項としてあるのが面白い。
宗教観や哲学思想のお勉強も、
人格形成の基礎なくしては、
赤ちゃん心理(万能感や快楽原則)に囚われて、
迷信・狂信・妄信で終わるのがオチというわけね。
瞑想ではなくて迷走しちゃうってことね。
そうそう誤った教育法とは、
「善・正・覚性とは○○である」の言葉を記憶して模倣はしているのだけれど、
日常で起こる些細な出来事を空ずる対象とせず端折って、
情緒不安定が露見するパターンであると言います。
この教育法は条件が揃っている良い状態なら、
穏やかで人のなりが良く映るケースですね。
空ずる行法の初心者編。
例えば、
人って空虚感があると食べるのよ。
これって意味違いますよね。
食べるって何のため!?
嗜好品、酒、たばこなどの物質依存は、
甘えたい気持ちの代償行為だったりします。
これは空ずるミッションになります。
格好の材料。
たばこは母親の乳頭に吸い付く行為の代償と、
ニコチンによって興奮・過敏をを鎮火させる目的があります。
たばこをやめると甘いものに偏るのは母乳の甘味を欲する再現。
お酒も抑圧や監視、禁止や緊張感を解放する力があります。
これらを手放せなくなってた原因は、
人の期待に応えなきゃってなって、頑張ってくたびれた。
深奥で愛情と関心を自分に向けさせるために、
頑張っているのが多いのね。
満たされないときに、空虚感を食べ物で解消しています。
因果関係を結べなければ、ずっとやってることになります。
充実や幸せって、よく考えて行動したほうがいいと思うのよね。
もっと自分の人生に楽天的になって観察してみたら、
選択が違ってくると思います。
絡まった糸を解すように意図を解く。
余計なエネルギーを排除して、
もっと自分のためになる生産的な選択をした方がいいと思いませんか!?
うっかりな悪癖を空じましょう。
それで意識が広がって、
気持ちよく無理なく自分の生活ができるほうがいいでしょ。
身体も心もシンプルになって向上する。素敵☆
能力、資質、適性って、
そうした中からわかるものだと思います。
すぐ取り掛かったほうがいいわよ。
人生で大きく差がつくから。