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Yoga  Citta  Vritti  Nirodhah.

​ヨガ・チッタ・ヴィリッティ・ニローダ(格言)…ヨガとは 心の作用を安止することである

ヨガについて お問い合わせいただくご質問を掲載します

…初級者…

サロンで行うヨガ行法について

 ヨガ行法とは、今まで気づくことのなかった自分や見過ごしてきた自分に改めて出会い直すような取り組みです。自分を見つめ、自分に出会い、そしてつながり直していきます。その取り組みはとても繊細で地味な作業の繰り返しです。しかし、質素で素朴な作業のなかにこそ本当の素の自分に出会う心のお悦びが隠れています。素の自分とつながり直す喜びを皆さまに味わっていただきたいと思っています。

 

ヨガへの取り組み方

 初めての方は基本を覚えましょう。ヨガとは心を鍛えること。『意識の改革』がヨガの原点です。意識の改革なくして体の扱い方が改善することはありません。自分自身に目を向け、意識できなかった問題に気づき、意志をもって行動改善を積み重ねていくのがヨガです。誤った使い方から解かれると、とても心地がいいものです。楽しいから正しい使い方をもっと知りたくなる。それは心も同じです。小さな気づきと積み重ねが、いずれ大きな功績となって我が身を助けてくれる力になります。

 

ヨガスートラの読み進め方

 初めて読まれる方は、まず137ページの実修部門からをお勧めします。生活の中ですぐ実践できそうなヒントが解説されてます。本の筆頭には、哲学と独特な基本原理(有神論)が展開されているので馴染みにくいかもしれません。数千年前の宇宙理論や概念はひとまず脇に置き、実修は生活の中で誰もがすぐ行うことができます。暮らしのなかで体験と格言がゆっくり結びつけていく自己変革の実践法です。特に苦悩を抱えているときほどその知恵は役立ちます。体験を積み重ねていくうちにものの見方が変わり、ひとつひとつが自分の力になっていきます。ぜひお楽しみで進めてください。

*行為主義からうまれた宗教哲学

 時代は紀元前のインド。バラモン主義(信仰主義・超越存在を認める・聖典・身分制度)に対して隆起した沙門主義(行為主義)の影響を受けて、後の時代にヒンドゥー教が生まれています。行為が人を卑しくも崇高なるものにもするという考えに基づいています。因果律をほどくカルマヨガをはじめ、ジュニアナヨガ、バクティヨガと広がり、それらを総括しヨガ・スートラが伝記されたという経緯があります。ヨガスートラを基にしたラージャヨガは世界中で親しまれています。

*古来の心(citta)と 現代の心では認識が違います

 ヨガ哲学・東洋思想の『心』は、現代人の認識している『心』とちょっと定義が違います。古来の心とは命の働き全般を指します。肉体・知覚器官・知覚神経・及び意思作用(感じる・考える・行動する)すべてを心(citta)と定義しています。

ヨガ行法とは 五頭の馬と車体と騎手の関係です

 ヨガ行法はよく馬車に例えられます。知覚器官は五頭の馬、騎手は意思、騎手と馬を繋ぐ手綱は知覚神経、車体は肉体、客人が崇高な魂です。騎手は馬を育成するだけの根気と高次な意思が必要です。車体のメンテナンスも欠かせません。騎手は常に馬を統制する支配主なので、集中力と忍耐力と理性が日常的に必要です。

 わたしたちの知覚器官は常に情報を受信しているため、心が動揺しやすい環境下にいます。この本能が騎手の高度な理性によって統制できるようにするのがヨガ行法です。皆様が親しまれているアサナ(ポーズ)は、あくまでも車体メンテナンスの部分でヨガ行法の一角に過ぎません

*戒(シーラ)がすべてのはじまりです

 ヨガ行法の基本的学習は戒(梵語・シーラ)です。戒とは習慣性の意味です。戒には善い習慣化と悪い習慣化があります。善い行いは人を幸せにし、悪い行いは人を縛り不幸にします。ヨガ行法を試みる人は、毎日の暮らしの中で『善い習慣化』を目指し、実践を重ねて自分の変化を楽しみます。

*情報を処理する騎手に すべてが委ねられています

 五頭の馬と車体の動きが騎手の技術ひとつに関わっているのと同様に、わたしたちの生きることそのものも意思の使い方一つで決まります。悪い習慣はものの見方を誤ったのが原因です。ヨガ行法は意識の混乱(誤認識・錯覚・想像物の区別・記憶への囚われ)に気づき、自分で調教し、幸福な道へと導いていきます。

*自己鍛錬による自己救済がベース音

 苦しみや悩みの原因は外ではなく、自分のなかの誤ったものの見方であると気づければ、いつでも自分で自分を救済できます。それに比べて外に原因をみているうちは救済が遠のき心の乱れは治まりません。長い年月をかけて自己鍛錬し、自らの力に安らげるようにしていくのがヨガ行法の原理です。

ヨガ八支則(ラージャヨガ)

カルマヨガ、バクティヨガ、ジュニアナヨガを総括し、体系化されスートラに記されています。

第一 ヤマ(禁戒)…やってはいけない約束事

第二 ニヤマ(勧戒)…進んで取り入れていく約束事

第三 アサナ(肉体訓練法)…姿勢の取り方

第四 プラナ…呼吸法、エネルギーになるものの取り入れ方

第五 五感自律訓練法…煩悩を生む意識作用の浄化法

第六 集中法…散漫な意識を一点に集中させていく訓練

第七 瞑想法…集中が持続するようにする訓練

第八 三昧…一から七までが行われ 心に静寂があり安止する状態

*エゴ中心から解き放ち イキイキした生き方へ

 不調や苦悩の原因を外に見ず自らのエゴに置きます。癖や業(カルマ・情動)を積極的に自己鍛錬法で自浄し幸福へと導きます。

*ポーズは基本の動作を身につけて活用する

 パワーみなぎる活性化した体(自然体)を目指し基本の動作を体得します。ゆがみは大敵です。肉体訓練で必要な基本は、上下・左右・前後・ねじりの4パターンと、外を見るより内を見る意識の合わせて5つです。絶え間なく自分自身に集中し洞察しながら訓練します。

*ポーズは 何回やったら修得できますか?について

 個人の肉体は世界にひとつだけ。人と同じように考えるものではありません。回数ではなく内容に最も左右されます。筋肉の質だけでなく、ご本人の記憶力・洞察力・考察力・工夫力・実修力によって個人差が生じるものと心得てください。形に囚われるよりも、そのポーズは肉体のどこに効果があるのかに目を向けて活用していくほうが上達します。

*楽しみながら持続を可能にしましょう

 初心者は身体を動かして、その心地良さを味わえるようになりましょう。楽しさや喜びを持続させていくために、肉体の正しい扱い方を学びたくなるようにしていきましょう。

・馬車の騎手のイメージを忘れないようにしましょう

・いいセルフイメージを持ちましょう

・やり過ぎ やらなさ過ぎにならないようにしましょう

・基本を大事にしましょう

・訓練の量は 訓練後に体がほぐれて心地良いと思える程度にしましょう

・ちょっとずつ負荷をかけて能力の向上を目指しましょう

・継続は力なりと心得ておきましょう

・結果にとらわれるのではなく 実行とプロセスに意味を持たせましょう

・自分で自分を支える優しさを持ちましょう

…中級者以上

自分で気づくが基本 自問自答の世界観

長い道のりをひとりゆく

(清浄の地を得るは易し 清浄の心は得難し)

*五感コントロール法(プラティヤハラ)について

 八支則五段階以上は、他人を介さないたった一人での取り組みになります。また非常に緻密で精密な洞察を必要としていきます。体の訓練はウォーミングアップ、公私に渡り積極的に心理行動・情動・習慣を正していくように努めます。無我の境地に至れるようにエゴを律して浄化し、究極の安楽への道を歩みます。

 状況を把握し直す観想は自浄に欠かせません。この作業で一点集中力が強化します。人を変えることはできませんが、自分の心を変えることはそれに比べて容易です。生活のなかで偏見や誤解を解き、正しく物事が観れる力を向上させます。

 原因と結果をつなぐ訓練は精神的(知性と理性)発達を促します。行き詰まったときは指導者に相談したり、問答で意欲を分かち合いながら精神鍛錬を重ねていきます。

*瞑想作用は精神集中の道具

 心の中を観想するもの、理解するのも、意図的に思考を変えるにも精神集中が必要です。瞑想は精神集中が持続した状態であり、三昧に至るための道具・スキルです。欠かせません。

*修道場では落ち着くのに 日常に戻ると心が乱れるのはなぜ?

 海外のアシュラムに行ったときはとても落ち着くのに、日常生活に戻ると心が乱れるといったご質問をよく頂きます。これは『外側の条件』に多大に依存している証で、静かな所・条件の良い所でなら心が鎮まる状態です。上級者とはいえません。この認識作用が錯覚です。求道者は、錯覚や幻惑をも見破らなければなりません。

 求道者が目指す修練は、喧騒な場所であってもまるで静かな場所に居るかの如く、五感と意思と行為が統制されていることです。心をいつでも自由に鎮められることを指します。

*精神修養は自問自答が欠かせません

 先達は精神鍛錬を鋭い刀づくりに例えてます。鋭い意識は真相を明かすからですね。極限状態に追い込まれたときや苦悩に囲まれたときほど、本当の自分の姿がよくわかると伝えています。つまり大きな試練ほど実力をつけるチャンスです。わたしは先達から『楽に苦あり、苦に楽あり』のことばを頂いています。苦の中から生まれる閃きは確かなもの。精神力は誰かにもらうものではなく、借りものでない力です。

*求道者が常に問われるのは理性です

​ 狂信や盲信になる原因は『理性の欠如』です。教えを奥深くまで学べば、どのヨガにも常に理性が必要と説いています。

 本能は動物的なもの、理性は人間のもの、直感は人智を越えたもの。理性は本能を抑制し、理性は発達すると直感に近づきます。理性で到達できないものを先に直感が明らかにすることがありますが、直感は理性と矛盾することはけしてありません。直感とよく似た勘違いを正すのも修行です。真の教えである第一の証拠は、理性に矛盾しないというものです。

*段階的・科学的に一つずつヨガ求道は深まります

 善因善果・悪因悪果の因果関係を容易く見つけられるようになるので、非常に静かな心の状態になります。実践者は時が経つにつれて、必要なものとそうでないものの見分けがハッキリしてくるので心も体も軽くなります。

 日常生活では浮わついたところはなく、感情的や感傷的に物事をとらえることもなくなります。実践はリトリートのような刹那的な安穏ではなく、持続する安楽を可能にします。

*心は真心のためにあるもの(解脱)

 ヨガ行法によって、臆せずありのままの姿を洞察し、煩悩や雑念を手放したのちに現れてくるのが真心です。これをカルマ(業)の清算といいます。本能の働きにさえ左右されずに心を使う境地、解脱です。ヨガ行法を始めたころとはまったく違った自分との邂逅。一心乱されぬ感覚を『三昧』といっています。求道者の憧れの境地です。

自己鍛錬能力の向上・正姿勢への気づき

​ヨガの最終目的・三昧と歓喜法悦感

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