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  • Writer's picture湘南茅ケ崎 サロンハナミズキ

内を観るセンスを磨く(内観・瞑想法)


どうして気づけるのですか?

そんな質問と一緒に、

不愉快にになりませんか?

と聞かれます。

自分の行動をもう一度見直すとき、

不愉快な出来事は普通やりたがりません。

それが人間性に備わっています。

感じる力がそこでは妨げになります。

ですが、

不愉快な出来事の中に自分を成長させてくれる真の学びが多々あります。

私が親しんできたのは「内観法」。

古い著書の中、行法で語られているものになじんでます。

反省よりもっと深く入り込んで、自己成長を促します。

まず感じ方の処理。

不快感はずっと続くかのように思いますが、

良く感じ続けると、自然といつかは鎮まるモノです。

鎮まったところで内観するのね。

不快は生理的嫌悪の現われ。

己の姿を避けてのこと。

誇大自己が見破られることへの嫌悪です。

その言葉を目にした時から、それを越えたくなりました。

「己は正しい」と思い込んでいるうちは、不快感が鎮まるのに時間がかかります。

だから、成長したいと強く願う。

正しさの争いよりも、

もっと深く多面的な物事の観方が出来るようになりたい。

そのほうがもっと自分を助けるに違いない。

そんな思いが不快を越えていき、内観に着手出来るようにします。

まず瞑想法とは、ありのままを想い起します。

瞑とは「深く」そのままを追います。

記憶を追うのね。

記憶に繋がらなければ、

自分がどんな条件を元手に、そのような解釈で行動を選択したのかわかりません。

すでに形のない記憶を鮮明に想い起す作業は大変なことでもありますが、

慣れます。

誇大自己のもっと深奥に、自己成長を見守る真我があると想像する。

すると感情が邪魔をすることは慣れるとほとんどなくなります。

ついでに集中力も同時に開発していけます。

物事の一部始終を想い起したら、

さらに一歩踏み込んで、その行動以外に選択肢はなかったのか考えていきます。

ここで不快感になる人は、

「私(僕)は間違っていない、正しい」が横槍を入れてます。

また鎮まるまで待ってください。

つまり、不快感がいつまでも出てくる人は、

それだけ正しい・間違ってなんていないと自己主張したいからなのね。

内観はそんな自分に気づくことでもあります。

新しい行動を選択するには何が必要か。

柔軟な姿勢と視線を変える楽しみと根気です。

高度になると、

その時に自分が何に強く反応して、行動を瞬時に選択していたのか見つけられます。

衝動的に選んでいた不利な条件を見つけてあげられます。

これで先に身についていた起承転結(スキーマ)が、

改変されるチャンスを得ます。

それがまた明日への活力になり、

実行の場を意欲的に欲しがるのね(笑)

起きた出来事への感謝の気持ちが生まれます。

内観法や瞑想法は、自分を知るセンスを上げる手段だろうと思います。

ひとり目を瞑って、形ない記憶を辿る旅。

得体のしれない己に振り回されることのない人生にするために、

得意技を開発する。

実務的ですね~(*´з`)

それが内観法と言えるのではないでしょうか。

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