なぜ、朝をそれほどに大事にするのでしょうか?
それには理由があります。
アーユルヴェーダの背景にある思想が影響しています。
人としてこの世に生まれたら、
『人で生きること』そのものが学問であると考えます。
ひとりひとり生きる課題があって、
その課題を今世やり遂げるという内容です。
家族という集団で生きるなかでも、個人の課題や目的があることを忘れません。
家族は、ひとつのチームと考えると掴みやすいかもしれません。
親子の関わりも、
親は子を持ち、育てさせていただく、
子は親を見本に、生きるを学習させていただいている。
同一化というものとはちょっと違いますね。
親であれ子であれ、
朝の時間を神聖な儀礼や儀式として捉える傾向があるのは、
生きる学習のために肉体(道具)があると考え、
その道具を丁寧にメンテナンスして心地良い心に整え、
そして、
一日をどう過ごし学習していくのかと考えるからです。
この思想が個人のなかに落とし込まれていることで、
集団という大きな組織に飲まれたとしても自分を失うことはなく、
また、
集団という組織から離れるときでも、
自分を悠々と支えることが適います。
では日本社会はというと、
思想を持って生きるということが、
最近まであまり着目されていませんでした。
極一部の人たちだけが『哲学』として活用しているのみに留まっています。
その原因は、
戦後、経済大国を目指すようになったことが考えられます。
一般社会思想の背景には、
つねに生産性・経済論があり、
経済を潤滑にするための人づくり・社会づくりが優先されます。
豊かさや幸福も、
より良く・より新しく・より便利なものを、
たくさん手に入れることにあると考えるようになります。
その思想が多くの人を動かし、また実際に豊かにもなりましたが、
時間の流れとともに変化の時を迎えています。
それが今です。
豊かになった社会のなかで、
個人が各々の生き方を模索するときになりました。
時代は廻るという言葉の通り、
改めで原点に回帰するような、
原点の教えに遡るような感じではないでしょうか。
これからは思想も自分で選んで活用する時代。
積極的に朝を活用し、
一心乱れぬ思いで、
今日を自分らしく生きようとする生活スタイルはどうですか?
生きることを学習と考えるからこそ、
一日一日が貴重であって、彩よく過ごしたいと力が湧くようになります。
明日は星詠みです。